小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1067 2013年の日の出 東北再生へ!の思い

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 朝、6時55分に目が覚め、これはいかんと慌てて身づくろいをして、犬たちと外へと飛び出した。初日の出を見るためだ。毎年、同じ場所で見ている。歩いて数分の橋の上だ。近づくと、多くの人が解散していた。早足で橋に行くと、太陽が昇りつつあった。

 私のことしの年賀状の言葉。

《初茜してふるさとのやすけさよ  (木下夕爾)白い息を吐きながら、茜色に染まる東の空を見上げる。 これから初日の出。空と太陽に向かい、人は何を祈るのか。 穏やかな1年になることを祈念しております》

 初茜と日の出のあとの空は澄んでいた。午前中はのんびりとして、午後、恒例の初もうでに出かけると、真言宗の寺の階段が埋まっていた。長い間、初もうではこの寺にしているが、こんなに列をつくったのは初めてだった。日本社会が閉塞状態にある中で、人は神仏にすがりたいと思うのだろうか。

 私のふるさとは、大震災に見舞われた東北だ、そのふるさと住む友人からこんな年賀状が届いた。東北再生へ!と題した文章が書いてある。ジャーナリストで仙台在住の松舘忠樹さんからだ。

《震災から2回目の冬。被災地の状況は一向に変わらない。政治の漂流がもたらした惨状だ。そして、激変。原発を稼働したい人々が権力を握った。3・11が私たちに突きつけた、歴史・社会観が簡単に忘却されることを恐れる。 被災した人々を駆り立てるのは、集団移転というフィクショナルな施策。移転に参加できない、もしくはしない住民は置き去りにされようとしている。

 宮城県だけで総延長242キロメートル、高さ7メートルを超す防潮堤が海岸に建設される。住民の暮らしと海はコンクリートの壁で隔絶される。   住民を置き去り、災害を好機に特定の人々が利益を収める。これ「災害便乗資本主義」という。私たちはこうした事態を食い止められるだろうか。 被災した人々の表情は柔和だ。道義的な正義の側にある強さに他ならない。人々に力をいただきながら、取材の旅は続く。皆さまにとって良い年でありますよう》

 松舘さんのこの訴えが、被災地の人々の思いであることを肝に銘じたい。

 筆者・遊歩より ことしも拙文にお付き合いください。

 下の写真は正月の風景

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