小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1100 笑いが止まらないが… 福島の原風景描いた「夕焼け小焼けで陽が昇る」

画像 映画の「always3丁目の夕日」は、舞台設定が昭和30年代の東京・下町だった。日本が敗戦から立ち直り、復興へと歩み、経済の高度成長が始まる時代の貧しくても明るい人々が描かれている。これに対し、小泉武夫の「夕焼け小焼けで陽が昇る」(講談社文庫)は、福島・阿武隈山中の村に住む少年たちが、知恵を絞って自然の中で遊び抜くという、同じ時代の地方の姿を軽妙なタッチで表現した小泉の自伝的小説だ。

 笑いが止まらなかった。造り酒屋の息子の中学1年生泉山醸児(小泉がモデル)と一級下の隣の魚屋の息子・大松玄白という「ひょうきんと腕白」の2人の少年を軸に繰り広げられる物語だ。

 小泉は福島県田村郡小野町の造り酒屋に生まれた農学者で、現在は東京農大名誉教授。発酵学、食品文化論、醸造学の専門家であり、文筆家としても知られている。

 この本は2009年4月28日から2011年2月26日まで福島の地方紙、福島民報にほぼ一面を使って81回にわたって連載したものだ。 導入部の「時代の背景」で、小泉は主人公の2人について「小さい時からどこへ行くにも何をするにも一緒で深い絆で結ばれた竹馬の友だった。当時の子ども達からは想像できないほど大胆で巧妙な行動をとり、大人達の舌を幾度となく巻かせては村に格好の話題を提供した不思議な仲間だ。中学生になったころには、村人のだれもが数目置くほど陸梁とした振る舞いで闊歩するようになり、周囲は期待と不安を交錯させていなければならなくなっていた」と書き、文字通り抱腹絶倒の13の物語を書き進める。

 たしかに、2人の行動は同じ時代に少年期を送った私でさえ驚嘆する。こんな子ども時代を過ごしたのなら、幅のある人間に成長すること間違いない。米をアルコールで浸して食べさせ、酔ったところを捕まえようと考える雀捕獲作戦(捕らぬ雀の皮算用)を皮切りに、2人の少年を取り巻く奇想天外ともいえるストーリーが展開されるのだ。

 出ると負けのへぼチームが地区の大会で優勝してしまう「猛虎ファイターズ奮戦す」や、村の八幡様のお祭りの余興に出る3人の「名人」を描いた「野球博士と美空びばり(ひばりではない)と山頭巾」など、どの物語も面白くて、休むことなく先へ先へと読み進める。 笑いが止まらなかったのは、卵酒で急性アルコール中毒になった玄白を解放するためにやってきた担任の先生が赤マムシ酒を飲みすぎて、自分も急性アルコール中毒になってしまう「受験心は薔薇色で」の話だった。

 つい笑いが止まらず、電車の中で他の乗客に変な眼で見られてしまったが、「こんな面白い小説がありますよ」と教えてやりたい衝動に駆られた。本を読んでこんなに笑ったのは久しぶりだった。 村にある材料でさまざまな料理を作り、近所の子どもたちに食べさせる「厨房『食魔亭』」は食べ物に詳しい小泉の面目躍如といえるし、醸児と玄白が愉快な東京旅行を繰り広げ、連れ込み旅館に世話になる「旅荘『桃園』の木村ヨシ様」は、ホロリトさせられる人情話でもある。

 いずれの物語にも「酔筆蛇足」という後日談が紹介されている。最後の「夕焼け小焼けで陽が昇る」の「酔筆蛇足」では、その後も2人が絆を強めて生きてきたことが短く書かれ、「この50数年間、私と玄白の痛快万丈の生き方は今でも続いている」が結びになっている。

 この小説の連載が終わってから2週間後、東日本大震災が起き、それに伴う原発事故のため、福島は大混乱に陥り、いまも多くの人たちが県内外で避難生活を強いられている。住民から笑いが消え、戸外で遊ぶ子どもたちの姿は見られなくなった。この小説を読んだ読者は福島の魅力を知ったはずだ。それだけに原発事故で失ったものがいかに大きかったかも感じただろう。小泉が描いた福島の原風景を取り戻すことは容易ではない。