小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1102 書き記す者の務め 高橋郁男著『渚と修羅』を読む

画像 私が被災地に初めて入ったのは、大震災から1カ月後の2011年4月16日だった。羽田から岩手・花巻空港に飛び、レンタカーを利用して釜石、大槌、山田、宮古を回った。被災地をこの目で見たいという気持ちを抱きながら、様々な制約があり、ようやく実現した旅だった。

 知人の高橋郁男さんは震災をテーマにした「渚と修羅」(コールサック社)という作品の中で、こんなことを書いている。「一人の『書き記す者』として3・11大震災という人と時代の営みを激しく揺るがす事態を、及ばずながらも、未来に向けて記述しておくことが務めのように思われた」。 当時、私もそんなふうに考え、被災地に向かったのだった。

『渚と修羅』の作者の高橋さんは元朝日新聞記者で、朝日の名物コラム・素粒子天声人語を2000年から7年間にわたって執筆したコラムニストである。被災地でもある仙台出身で、詩に造詣が深く科学にも強いジャーナリストだ。

「渚と修羅」は「震災・原発・賢治」というサブタイトルにもあるように、宮沢賢治という稀有の作家の作品とその精神性を通して震災と原発事故を経験した現代日本の姿を見つめ直そうという試みだ。 だが、この作品は「論」ではない。社会部や科学部で現場取材を徹底してきた高橋さんは現場(被災地)に通い、その実情を見ながら考え続ける。

 出身地仙台の荒浜、多くの犠牲者を出した石巻市の大川小学校、さらに原発事故の福島、そして賢治のふるさとの花巻と三陸海岸…と高橋さんの旅は、いまも続いているのだろう。 私は3・11の災害について、各メディアが使い出し、当時の菅内閣が追認するように4月1日に決めた「東日本大震災」(気象庁命名東北地方太平洋沖地震)という呼称に疑問を持たずに過ごしてきた。

 高橋さんがこれに疑問を投げかけ、「東北日本大震災」という呼称を提案していることを知って、私の鈍感ぶりにあきれてしまった。被災地の大部分が東北3県なのに、東日本というのはたしかにおかしい。 科学ジャーナリストでもある高橋さんは、宮沢賢治が使った「漫」という言葉をキーワードに原発事故について考え、この本の中でも多くの頁を割いている。

 賢治の言う「漫」は、賢治自身の反省だけでなく、「他を顧みずに利益を追求する漫がはびこりがちな時代への文明批評的な響きが感じられ」「明治以来科学技術に頼って突き進んできた近代社会に巣くっていた大きな病、漫というものを極端に顕わにした」―と高橋さんは指摘する。

 政治も経済もさらに日本社会全体が「漫」に浸った結果起きたのが原発事故だったのだ。 本の題名にもなった「渚」について高橋さんは「渚は不思議な場所である。渚の波打ち際を右へでも左へでもたどって行けば、本州のあらゆる渚とつながり一周して元の渚に戻ってくる」と書いている。東北の渚はあの日、修羅場になった。そして、今。渚は何もなかったように、静けさを取り戻した。

 しかし、被災地復興の道は遠く、福島では原発事故という修羅場が果てしなく続いている。それを後世に伝えようとする高橋さんたち、「書き記す者」の務めも終わりがないように思う。 2年前、私は初めての被災地の旅から帰って、書き始めた文章の冒頭をこう記した。

「長い人生では様々な事象に出会い、驚くことも少なくなる。感性や感受性が次第に鈍くなるからだろうか。そうしたことを意識していた矢先の東日本大震災だった。テレビの映像や新聞、雑誌、インターネットの写真を見て震えるほどの衝撃を受けた。その衝撃度は現地に入ってさらに増した。震災から1カ月以上が過ぎ、被災地では瓦礫の撤去が始まり、街の復興を目指して動き出していた。

 日本人に突き付けられた大災害の痛みを感じながら、岩手県の被災地を歩いた。高度1万メートル以上で飛ぶ飛行機の窓から三陸の町や村がかすかに見える。建物はマッチ箱のようだ。自然界で人間の営みははかなく心もとないことを実感する。その営みは自然の脅威にさらされると、もろくも壊されてしまう。悔しいのだが、その典型が今回の大震災だったと認めざるを得ない」

 自然界の中で人間の営みははかない。だが、高橋さんの本を読んで、私も及ばずながら未来に向けて「何か」を書き記し続けたいと考えている。高橋さんは本文の最後で賢治の言葉「漫」を紹介し、「賢治が亡くなって2013年で80年。その死の直前に遺言のように記したこの言葉が、3・11後の世界への賢治からの『伝言』のように、生々しく、そして痛切に響き渡る」と結んでいる。

 そう、私たちは賢治からの伝言を忘れてはならないのだ。それを高橋さんは、次代をになう若者に伝えたいに違いない。書くべき人が書いた本を多くの人に読んでほしいと思う。

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