小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1118 「芸術そして、つながる心と心」 パリで元校長「フクシマの子どもたち」を語る

画像

 ことし3月まで福島県の小学校で校長をしていた知人の宍戸仙助さんが最近パリに行き、原発事故の福島の子どもたちについて語った。元校長による、海外出前授業だ。フランスの人たちは、宍戸さんの話にどんな反応を見せたのだろうか。

 宍戸さんから、パリの出前授業に至る経過や出前授業の様子についての記録が届いた。以下にその全文と写真を掲載する。

 

 2012年5月のことであった。県立図書館の専門司書であった友人から久しぶりに電話があった。それは「フランスで活躍する芸術家が被災地支援のために作った『塗り絵絵本』が数百冊あるので、近隣の学校などに配って取り組ませてみては」という提案だった。  

 ▼空間芸術家・野口香子さんの特別授業

 早速、数百冊いただき、外遊びに不安を抱く保護者の多い地域の数校に配るとともに、私が校長をしていた伊達市立富野小学校でもそれぞれの学年の先生方に、その趣旨を説明し取り組んでいただいた。6月末になり子どもたちが思い思いに物語風に描いた塗り絵絵本が、岩手県立美術館に展示されることなった。

 また作成者である芸術家の野口香子(のぐち・こうこ)氏がフランスから来日され、絵本が展示された岩手県立美術館でワークショップを開いているとお聞きしたので、ご挨拶かたがた出かけてみた。  

 大きな動物と小さな動物の「心臓の大きさを『苺の折り紙』で表現するワークショップ」を見せていただき、夕方、お礼も兼ねて話をしていると、野口さんは「校長先生の学校の子ども達に会ってみたい」と言ってくれた。そんないきさつがあり、昨年10月末、フランス・イタリアなどでインスタレーション(空間芸術)で活躍する現役の芸術家が、全校生24人の山間地の完全複式の小学校で特別授業をしてくださるという夢のようなことが実現した。  

 この特別授業では、自分の「いのち(心臓)」に見立てた大きさの「いちごの折り紙」を折るという取り組みから「いのちの尊さ」を学ぶという授業であった。事前に来校され、空間芸術として会場の教室中央に飾られた1000個の「いのち(苺の折り紙)」は、それを知らずに入ってきた子ども達の目を釘付けにし、子どもたちの心を圧倒した。さらに、黒板に貼られた胸に赤い「いのち(苺の折り紙)」を抱いた世界中の人々の「輝くいのち」を感じさせるポートレートのにこやかな笑顔に、子どもたちの視線は引きつけられていた。 担任の先生方と一緒に、熱心に折り紙を折る。いくつも折る。そして、最後にそれを膨らますために渾身の力を込め、息を吹き込む。それは、まさに息を吹き込み「いのち」を与える作業だった。

 放射線被害に地域コミュニティや家族、友人と分断され、今の生活環境の中では、土や草に心おきなく触れ、草むらに寝転がり楽しむ、という成長に欠かすことのできない自由までを奪われた子ども達がいのちの息を吹き込む。

 これこそどんなに小さな子ども達であっても逆境の中で、その厳しい現実を変えることができる力があることを実感する「自己効力感」の自覚を促すこととなる取り組みだったのである。だからこそ、子ども達はこれほどの笑顔を見せることができたのだろう。それは世界で活躍する芸術家の授業だからというだけでなく「生きる喜び」を自ら体験し「命を輝かすことのできた喜び」を味わうことのできた瞬間だったのだろう。  

 遠くフランスからお出でいただきながら何のお礼もできないため、子ども達は心を込めて「Smile Again」(中山真理作詞・作曲)を歌った。「Smile Again Smile Again うつむかないで、Smile Again Smile Again 笑ってみせて」。歌詞の意味に思いを込めて、感謝の気持ちを精一杯歌う子どもたちのその気持ちは、野口さんの心に確かに届いていたようだ。

 ▼届いたパリでの講演依頼

 野口さんはパリに住んでいる。その野口さんから2012年の12月「フランスへ来て、『フクシマ』の子ども達について、話してほしい」という依頼が飛び込んできた。ご主人は、フランス・パリのエルム通りにある「エコル・ノルマル・シュペリエール」という大学院大学の教授で、6月初旬にその大学の教室を借りて講話会をする設定だという。  

 日本語でよいのだが、日本語を十分に理解できない参加者もいる可能性があるので、発表原稿の英語版も用意してほしいということであった。参加者の状況をみて、場合によっては英語での発表もあり得そうな状況である。友人の力も借りて慣れない英語にも取り組んだ。  

 インターネットなどで、「エコル・ノルマル・シュペリエール」という大学を調べてみると、この「僥倖」とも思える出来事への驚きが大きさを増す。フランスの政治経済界の歴史に名をなす多くの著名人を輩出し、ノーベル賞をはじめ、フランスで有名な賞を受賞した多くの偉人を育てた大学院大学であることが分かった。緊張が高まった。しかし、今さら逃げだすわけにもいかない。1カ月ほど前になると、現地で配布され、さらに「エコル・ノルマル・シュペリエール」学内の掲示板にも張り出された講話会への参加を促すポスターが届いた。ポスターによると、17時から6歳から10歳の子ども達用に30分程度、その後、17時30分から1時間程度を大人達のためにという設定であった。  

 30年ぶりのフランス・パリ。妻も同伴して、身のすくむような思いで、6月1日にエコル・ノルマル・シュペリエール大学院の門をくぐった。歴史と伝統を尊ぶフランス。エコル・ノルマル・シュペリエールの校舎もその歴史と伝統を彷彿とさせる建物であった。多くの偉人達の胸像がところ狭しと壁面を飾っている。校舎に入り中庭に抜けると、野口さんのご主人であり、論理数学の教授であるポール・アンドレさんが「この中庭は、サルトルが思索を巡らしながら散歩した中庭です」と噴水のある直径15mほどの中庭を案内してくれた。当日は、大学院見学会も開催されており、中庭のベンチは10人近い若者でにぎわっていた。いかにも議論好きのフランス人らしく、談笑しながらも熱心に議論する姿が眩しかった。

 ▼本質を突いた少年の質問

 前半の「子供用講話会」は、子ども20人とその親御さんが10人ほどの集まりとなった。私が日本語で全体を短く切って様々な写真を見せながら話し、それをポールさんがフランス語にするという方法での取り組みとなった。 説明が終わって、質問の時間になると、将来、理論物理学者を目指すという10歳ほどの少年から「今、フクシマは危険ですか?」とう質問が飛び出した。

 フランスの大きな夢を抱く少年らしく、物事の本質を問う質問であった。しかし、最も答えることが難しい質問であった。この本質的な質問に戸惑い、私自身、答えることに躊躇した。「放射性物質放射能の影響から身を守ることを知らずに生活するには、危険を伴う場所となってしまいました」というのが、私が答えることのでき「フクシマ」を守ることのできる最大限の回答だった。  

 後半の大人用の講話会は、フランス人15人、日本人25人、計40人程が集まった。同時通訳を担当してくださった3人の女性のうち、フランス生まれフランス育ち、バイリングアルの多賀さんという若い方が、私の発表原稿のフランス語版も準備してくださり、英語版、フランス語版での資料は配布されているため、日本語での発表となった。  

 この講話では「『フクシマ』の子どもたち」の様子だけでなく、震災と原発事故の前後に訪問させていただいたラオス南部の「電気がない、水道がない、病院がない、学校がない環境で瞳を輝かす子どもたち」の様子も含めた内容を話した。4分の1ほど進んだところで、ほとんどの参加者は、次々と映し出される映像と短いビデオクリップに集中している。発表原稿のフランス語や英語を見ている人はいないため、途中から多賀さんが、内容の同時通訳をしてくれた。

 一人ひとりの方々が日本とフクシマに大きな心を寄せてくださる方々だけに、聞き入る姿には、国内での講演会と寸分違わないものを感じさせていただいた。日本国内よりも情報が少ないだけに、その真剣さには尋常でない雰囲気を感じた。この中には伊達市の学校給食のために、数千個のりんごを寄贈してくださったという方もおられた。 講話会の結びには「フランスと日本の国の素晴らしさ、歴史と伝統、芸術、昔のお城や寺院だけでなく、四季おりおりの自然も美しい国であるフランスと日本を、美しくきれいなままで、みんなで守ることを、子どもたちに教え、力を合わせていきましょう」と話した。

 いま、友人からの電話が発端となって、私をパリへと誘ってくれたこの1年を振り返っている。それを言葉で表現すると「出会いと縁でつながった芸術と心」といっていい。 最後の写真は、エコル・ノルマル・シュペリエール大学院大学の玄関で撮影。野口香子夫妻とともに。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像