小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2081 寒気の中でも凛として咲く 香り優しき水仙の花

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               (庭先に咲いた水仙

 庭先のスイセンの花が咲き始めた。この花は「水仙」(このブログでは一部を除き、以降「水仙」)と漢字で書きます)と書いたのを音読したものだそうだ。昔は「雪中花」(せっちゅうか)と呼んだこともあったという。文字通り雪の中でも咲くため、こんな風情のある呼び方をしたのだろう。『新日本大歳時記 冬』(講談社))には「寒気の中に凛として咲き、しかも、可憐な花の風情は、日本人の心情に適うものがあるようだ」と書かれており、日本人にはなじみが深い花といえるようだ。

 牧野富太郎によると、水仙は中国から日本に伝来した。しかし原産地は中国ではなく、大昔に南ヨーロッパの地中海地方から中国へ渡り、さらに日本へとやってきたという。中国ではこの花が海辺でよく育つため、俗を脱している仙人に擬えて水仙と名付けられた(『植物知識』講談社学術文庫)ようだ。ヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』(草思社)の中にも、ボーデン湖(ドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置する湖)のほとりで暮らしていた当時描いたに水仙の水彩画が載っている。『花の香り』という詩もあり、「スイセン」については以下のよう印象を記している。

 「スイセンの香りは」
  ほろ苦いけれど 優しい 
  それが土の匂いとまじりあい 
  なま暖かい真昼の風に乗って 
  もの静かな客人のように窓から入ってくるときは。
  私はよく考えてみた―― 
  この香りがこんなに貴重に思われるのは 
  毎年私の母の庭で
  最初に咲く花だったからだと。

 これまで、私は水仙の香りを嗅いだことはない。この詩を読んで、あらためて庭先の花のにおいを嗅いでみると、詩と同様の印象を受けた。牧野の本にも、よい香を放つと書かれており、水仙は優しい香りなのだ。

 水仙にさはらぬ雲の高さかな 正岡子規

 子規の句のように、上を向くと青空の中に浮かぶ雲がよく見える。空気が乾いていて、透明感のある季節である。一方、新聞を見ると、インドのニューデリーでは大気汚染が深刻で、すべての学校が閉鎖になり、在宅勤務が奨励されているという記事が出ている。スモッグで視界が悪くなっている街の写真も掲載されている。中国の首都北京でも毎年冬になると微小粒子状物質PM2・5に覆われることが通例になっている。それだけではない。目には見えない新型コロナウイルスがこの世界を覆っている。南アフリカで見つかったオミクロンという新しい変異株対策のため、日本政府は全世界から外国人の入国を30日午前零時から1カ月原則停止すると発表した。変異株の詳しい実態はまだ不明だから不安感は増すばかりだ。こんな時こそ、雪の中でも凛と咲き続ける水仙のような強さを持ちたいと思う。(開催が迫っている北京五輪に黄色~赤信号が灯ったといえる事態ではないか)

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                (ヘッセの水彩画・スイセン)    

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             (庭先の皇帝ダリア)

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              (夜明けの調整池)

※お知らせ このブログ名「新・小径を行く」は2078回から以前の「小径を行く」に戻しております。よろしくお願いいたします。

 

2080 秋から冬への風景 点描・美しい自然の移ろい

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                      (千葉県鴨川市の四方木不動の滝・雄滝)

 今年も残すところ、36日になった。カレンダーを見たら2021年という西暦のみのものがほとんどで、西暦とともに「令和3年」と併記されたのは1つだけだった。現行のグレゴリオ暦になって148年(日本では1872・明治5年12月2日=旧暦=の翌日を、明治6年1月1日=新暦グレゴリオ暦の1873年1月1日と、太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦)。西暦=グレゴリオ暦が定着したといっていい。その中で旧暦の七十二候は日本の自然現象を観察するうえで、捨てがたい伝承だといっていい。晩秋から初冬、コロナ禍の中で見た美しい風景を、少しだけ紹介してみる。

 今朝、散歩をしていて調整池の北側斜面に霜が降りているのを見た。七十二候では「霜降」という候があり、「新暦ではおよそ10月23日から10月27日ごろ」という解説書きがある。農作物にとって大敵といわれる霜。北海道北部では大雪が降ったというから、こちらでも霜が降りても不思議ではない。太陽と反対側の西の空は、昨24日に続いて、ピンク色に染まっている。「ビーナスベルト」と言っていい現象だ。スマートフォンで撮影するため手袋を取ると、手先がかじかむ。

 先日、あまり知られていない滝を見に行った。房総の鴨川と聞けば、多くの人は海岸を連想するだろう。だが、一部は標高300メートル前後の房総丘陵に属している。そこに幅8メートル、落差10メートルの「四方木不動の滝」(よもぎふどうのたき)という、小さな滝がある。これは雄滝(向かって右側)で、その左側にはもっと小さいが雌滝がある。県道の駐車場から約20分山道を歩くと小さな不動尊を祭ったお堂があり、ここから数十メートル下ると滝の音が聞こえてくる。それが四方木不動の滝だ。知る人ぞ知る滝らしく、私たち家族以外に人影はない。滝の音だけが山の中に響いている。

 私の家近くの公園に植えられているメタセコイアが落葉直前となり、赤く色づいた。また、銀杏の葉も負けずに黄色く輝いている。メタセコイアは以前のブログで書いた通り「生きた化石」ともいわれるそうだ。天を突くような伸び伸びとした姿は美しく、好ましいと思う樹木の種類に入る。もちろん銀杏も嫌いではない。札幌大通公園、神宮外苑の銀杏並木は心に焼き付いている。

 世界的に猛威を振るっているコロナ禍。日本は第5波が収まってから、新規の感染者は急減している。海外では感染の再拡大傾向が続いているだけに、日本のこの現象は歓迎すべきことといえるだろう。それにしても急減の原因はよく分からず、第6波が来ることを不安視する声もある。滝の帰り、私は12月になっても感染再拡大がないことを祈って不動尊に手を合わせた。

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          (四方木不動の滝。左が雌滝、右が雄滝)

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           (色づいたメタセコイア

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           (道路わきの銀杏も黄色に)

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           (銀杏の大木の間から青空が)

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            (冬霧が立った調整池)

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           (夜明け前のビーナスベルト現象)

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            (夜明け前のビーナスベルト現象)

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           (夜明け前のビーナスベルト現象)

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            (調整池の北斜面に霜が)

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           (四方木の滝入り口にある不動尊

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2079 せめて口笛を  人生は短し、芸術は…

      

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 ピアノやヴァイオリンは本当に素敵だと思うけれど、私には手が出なかった。

 あくせく働くだけの私には、今まで、口笛をものにするのが精一杯。

 もちろん、それとてまだ名人芸からは程遠い。何しろ芸術は長く、人生は短し、だ。

 でも、口笛一つ吹けない人は可哀想だ。私など、おかげでどんなに多くを手に入れたことか。

 前々から、私は堅く心に決めたものだった、この道一筋、一段また一段と上っていこうと。

 目指す究極の心境は、自分も、あなた方も、世間の人たちも、みんな、口笛で吹き飛ばせるようになること。

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 これは、ヘルマン・ヘッセの「口笛」という詩だ。この詩を訳した音楽評論家の吉田秀和は「私も、結局、身につけるといって、口笛しかやれそうもないけれど、私の口笛は、ヘッセのアイロニー、ユーモア、その下を底流する諦念のペシミズムには比べるべくもない」(『音楽の光と翳』中公文庫)と、書いている。私といえば、口笛は適当に吹くだけで、人に聞かせることはできない。さらに、ピアノやヴァイオリンだけでなく楽器をものにする人は異次元の世界にいるように思う。先ごろ行われたショパン国際コンクールで2位と4位になった反田恭平さんと小林愛実さんの本選での演奏(ショパンピアノ協奏曲第1番 ホ短調)をYouTubeで見て、それを確信した。

 ヘッセはこのような詩を書いている。しかし、実際には子どものころからヴァイオリンを弾き、身近に音楽がある生活を送った。フォルカー・ミヘェルス編・中島悠爾訳『ヘルマン・ヘッセと音楽』(音楽之友社)にそのことが詳しく書いてある。ヘッセは後半生、執筆以外の時間はほとんど自宅の庭仕事をしながら過ごしたという。ヘッセにとって、庭仕事は「魂を解放させてくれる」大事な時間だったといわれる。この時、ヘッセは口笛でどのようなメロディーを奏でていたのか……。

 ハーモニカを趣味にしているという知人がいる。どのようないきさつでこの小さな楽器に親しむようになったか、聞いたことはない。忙しい人生を送ったこの人にとっても、ヘッセの口笛と同様、ハーモニカは心の友になったのだろう。この人はかつての強豪高校と知られる高校の野球部員で、内野のレギュラーだったそうだ。野球部の仲間たちは高校卒業後それぞれの道を歩んだが、毎年一度は集まり旧交を温めてきた。当初20人近いメンバーがいた。

 しかし、年月が過ぎるとかつての球児たちも櫛の歯が欠けるように次第にその数は少なくなり、今年集まるのはわずか3人のみ。まさに人生は短し、を感じる。3人だけの集まりで、知人は友人2人にハーモニカのメロディーを聴かせるのだという。

 

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2078 アナログレコードを聴く 新鮮に響くハイドン・セット

     

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 名前も知らないし、どんな人かも知らない。ただブログを読んでいると、女性と思われる。拙ブログにコメントをいただいたこの人のブログを読んでいたら、「アナログのポータブルも悪くない」と題して、ポータブルのレコードプレーヤーを購入してレコードを聴いた話が書かれていた。詩的な文章で私にはとても書けない。感心して読んだあと、そういえばわが家にも久しく聴いていないレコードが何十枚かある、アナログレコードへの一時回帰(やや大げさですね)も悪くない、と思った。

 世間一般と同様、CD(コンパクトディスク)派に転向してかなりの年月が経ち、アナログのレコードプレーヤーはとうに処分して手元にはない。かつて音楽好きの同僚に感化され、やや高価と思えるオーディオセットをそろえたことがある。レコードプレーヤーもその中にあった。しかし、いつしかレコードをかけることはなくなり、プレーヤーは無用の長物、廃棄処分へのコースをたどった。レコードだけは捨てるのが惜しかったのか、廊下の隅にある本棚に入れて保存した。しかしそのまま取り出すことはなく、いつか埃をかぶる存在になった。

 最近、冒頭に紹介したアナログプレーヤーのブログを読んで、ものは試しと通販でオーディオテクニカ(元々はレコード針のメーカーとして知られる)のレコードプレーヤーを購入した。手ごろな値段だった。レコード盤をセットしてみると、CDというデジタルの音を聴き慣れた耳にはアナログの音はとても新鮮に聴こえたのだ。加齢とともに耳が悪くなっているのだが、包み込むような温かさが伝わってくる、というのは私の勝手な受け止め方だろうか。

 セットしたのは、スメタナ四重奏団(1943年から1989年まで存在したチェコ弦楽四重奏団チェコの作曲家スメタナドヴォルザークヤナーチェクのほかベートーヴェンモーツァルトの曲の録音で知られる)の「PCMによるハイドン・セット―3」(発売・日本コロンビア)で、入っているのはモーツァルトの『弦楽四重奏曲第17番変ロ長調《狩》KV458』と『同15番ニ短調KV421』 の2曲である。

 モーツァルトは1782年から85年にかけて6曲の弦楽四重奏曲を書いている。ハイドンの《ロシア四重奏曲》(1781年)に影響を受けたといわれ、《ハイドン四重奏曲》とも呼ばれている。私のレコードはスメタナ四重奏団による6曲のうちの2曲で、1972年に来日した際録音した49年前の古いレコードだ。ジャケットには「録音方式の革命―PCM録音」と書いてあり、いわゆるデジタル録音なのだそうだ。

 当時としては「世界初の商用デジタル録音」といわれ、それまでの録音方法より格段にクリアな音で録音でき、演奏者の技量もはっきり分かるという事情もあってコロンビアの録音技術者は、評価の高いスメタナ四重奏団による録音を希望、それが実現したという。デジタル録音盤だから、この10年後の1982年に登場したCDとアナログ盤との中間程度の音といえようか。ジャリジャリという、気になる雑音もない。

 ハイドン・セットは、実際にモーツァルトもヴァイオリンを担当し、ハイドンの前で演奏されたことが高橋英夫著『疾走するモーツァルト』(新潮社)に書かれている。演奏を聴き終えたハイドンモーツァルトの父親、レオポルトに「私は正直な一人の人間として、神を前にして申しますが、あなたの御子息は私が名実ともに知っている最も偉大な作曲家です。味わいがある上に、きわめて大きな作曲の知識も身につけています」と語りかけたという。外は雨。散歩の人影もない。私はハイドンになったつもりで、レコードを聴いている。

 

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2077 絶望を託された私たち 上間陽子『海をあげる』

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《私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。私は川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。》

 上間陽子著『海をあげる』(筑摩書房)は、沖縄での日々の暮らしをつづったノンフィクションだ。これはその終わりの文章。本のあとがきで上間は「この本を読んでくださる方に、私は私の絶望を託しました。だからあとに残ったのはただの海、どこまでも広がる青い海です」と記している。上間の私たち本土に住む人々への問いかけに、どう答えればいいのだろうか。

 沖縄県で生まれた上間は現在、琉球大学教育学研究科の教授。那覇市首里城近くに住んだことがあるが、現在は普天間基地の近くに住んでいる。一時東京で暮らしたあと、沖縄に戻り、未成年少女たちの支援と調査を続けている。この本は幼い娘との暮らしや、自身の離婚のこと、性暴力に苦しんだ少女や風俗業界で働く若者らとの対話、普天間から辺野古への米軍基地移転問題等々、現在沖縄が抱えている実態を12の話に分け、研ぎ澄まされたような文章で表現している。

 最近、このような「はっとする」文章を読んだことはない。難解な言葉は使わず、冗漫でもない。読んでいて、作者の優しい人柄が伝わる。どうして、このような文章が書けるのかと、思う。本の内容は沖縄の現実を反映したもので、読み進めているうちに考え込むことが少なくなかった。社会調査とはいえ、暗い現実の中で生きる少年、少女、あるいは青年たちに向き合い、話を聞くことができる作者は、どんな人なのかと私は思う。

 12の短い物語の真ん中あたりに「三月の子ども」という話がある。その中に上間のゼミの卒業生で小学校の教師になった女性のことが書かれている。春休みに会いたいと連絡をくれた彼女は3月(新型コロナ感染症の拡大によって安倍内閣は突然全国の学校を一斉休校にした)、上間の家にやってきて涙を流しながら学校の様子を話す。

 コロナ禍、突然の休校、子どもたちとの別れの時間を奪われた悲しみを泣きながら話す教え子に、上間は「泣いている彼女にかける言葉はひとつもなく、私たちがいま奪われているのはなんだろうと考える。子どもの日々を知らず、家族の生活を知らず、教師の仕事を知らない誰かの決定によって、ひととひととが重ねる時間が奪われる。4月から1年間、関係を編み続けた子どもと教師がお互いのことを慈しみあう、そういう3月が奪われる。いままでの苦労のすべてが果報に変わるこの時期に、子どものいない学校に教師は通う」と書いている。

 この本は教育者という視点だけでなく、沖縄で幼い子どもを育てる母親の視点でも書かれている。保育園に通う娘とのやりとりが特に心に響くのだ。

 冒頭の言葉は、普天間基地の移転先として青い海に土砂投入が続く辺野古の海を指している。そこは絶望の海になりつつある。静かな希望の海に戻ることはあるのだろうか。

 ※この作品は、「2021年ノンフィクション本大賞」(ヤフーニュースと本屋大賞が共催。全国の書店員の投票で選出)を受賞した。

2076 大リーグに大谷現象 常識を超えた野球選手

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 米大リーグ・エンゼルスで、投打の「二刀流」をこなした大谷翔平アメリカンリーグの最優秀選手(MVP)に選ばれました。このブログでもこれまで何回か大谷のことを書いていますが、ここにまとめてみました。興味ある記事があればお読みください。昨日のブログで絵画の世界のフェルメール現象に触れましたが、大リーグでも大谷現象が起きており、来シーズンも続くことになるでしょう。大谷は分業化が進んだ球界の常識を超えた選手になりました。あとに続く選手は出てくるのでしょうか。

 冬霧をかき消す報せ海超えて 遊歩

 

1669 大谷と職業病 スポーツ選手のけがとの闘い(3)

 

1704 大谷の二刀流復活記念日は? けがとの闘い1年を振り返る

 

1724 59歳まで投げ抜いた伝説の投手 その名はサチェル・ペイジ

 

2045「三つのベースに人満ちて……」 野球の華に挑み続ける大谷

 

2061 辞書に載った大谷の二刀流 サムライ言葉今も 

 

2075 フェルメール現象再び? 知られざるレッサー・ユリィ

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          (ユリィ「夜のポツダム広場」)

 久しぶりに美術館に行き、1枚の絵の前で釘付けになった。「夜のポツダム広場」。描いたのはドイツのレッサー・ユリィ(1861~1931)。私の知らない画家だった。絵の下半分は雨に濡れた路面が建物の照明に照らされて輝いている。なぜか建物の灯りより、道路の方が光っている。右側には傘を差した人たちのシルエット。全体にくすんだ夜の街はなんとなく物寂しい。著名な画家たちの作品が展示された『イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展』(三菱一号館美術館)で、私は初めて見る画家の作品に惹き付けられた。

 この美術展は、イスラエル博物館が所蔵する作品のうち印象派の画家たちの作品を中心に69点が展示されている。モネ、ルノワールゴッホ、ゴーガン、セザンヌクールベといった著名画家のほか、以前のブログに書いたことがある、アル中で知られたヨンキントの作品(「日没の運河、風車、ボート」)もあった。ユリィの絵は「夜のポツダム広場」と「風景」「冬のベルリン」「赤い絨毯」の4点が展示されていた。説明文によると、ユリィはユダヤ系のドイツ人。ミュンヘン分離派を経てベルリン分離派で活動したといわれるが、日本ではこれまで無名に近い画家といわれる。手元の分厚い西洋美術史の本にもWikipediaにも載っていない。

 生物や風景を印象派に近い技法で描き、雨の路地や夜のカフェをテーマにした作品が知られているそうだ。60歳を過ぎて開いた大規模作品展で名声を揺るぎないものにしたという。あらためて新聞の美術欄に載ったこの美術展の記事を読むと、モネやルノワール印象派の巨匠たちの作品を押しのけて1、2位を争う人気とのことで、売店のポストカードは開催初日(10月15日)に売り切れたため急ぎ補充された、と出ていた。既視感のある懐かしさ、コロナ禍で人影が少なくなった陰鬱な都会の夜の風景との共通性など、人それぞれの見方があるにしても、ユリィという画家の名は多くの美術ファンの記憶に残るはずだ。 

 日本ではフェルメール現象といわれるほどオランダの画家フェルメールの絵画展は異常な人気がある。今回のユリィ人気はそれほどまでとは言えないにしても、コロナ禍で大きな影響を受けた2021年の美術界の歴史に残る出来事になるのかもしれない。今回展示されたヨンキントの絵は、運河の後方に風車が見えるオランダの風景を描いた小品で、夜の画家といわれる黒や暗褐色系を使った陰影のイメージを強調する作品の部類に入る。

 私は新型コロナ感染を避けるため、昨年1月以降美術館巡りをあきらめていた。コロナ禍が落ち着いたこともあり、今回所用のついでに美術館に入った。感染対策のため予約客を優先し人数制限もあり、当日券購入のために列に並んだのだが、館内はこれまでの満員電車のような状況はなく、比較的ゆっくりと鑑賞する環境になっていた。入館者には歓迎すべきこととはいえ、美術館運営にとって厳しい状況が続いていることは言うまでもない。

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               (ユリィ「風景」)

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                (ゴッホプロヴァンスの収穫期」)

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             (ゴッホ「麦畑とポピー」)

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            (セザンヌ「湾曲した道にある樹」

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               (モネ「睡蓮の池」)


写真はポストカード、あるいは会場で筆者撮影(Photo © The Israel Museum, Jerusalem)

 

2074 寂の空への旅立ち 瀬戸内寂聴さん逝く

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 紅葉燃ゆ旅立つあさの空や寂(じゃく)

 作家の瀬戸内寂聴さんが今月9日に亡くなった。99歳。瀬戸内さんの名前を聞くと、私は必ずある日のことを思い出す。瀬戸内さんが得度し、瀬戸内晴美から瀬戸内寂聴になった1973年11月14日のことである。あれから間もなく48年になるが、記憶は鮮明だ。中尊寺は晩秋、燃え立つような紅葉に包まれていた。

 瀬戸内さんが平泉の中尊寺で出家、得度式をしたのは51歳の時だった。瀬戸内さんのことは、当時の私は『美は乱調にあり』という評伝のほかほとんど予備知識がなかった。そのころ仙台支社に勤務していた私にたまたま、取材のお鉢が回ってきたのだ。中尊寺は盛岡と仙台のちょうど中間に位置するとはいえ、本来なら盛岡支局のカバー範囲だ。ただ、深夜の取材ということで、デスクは車もありカメラマンがいる支社から取材させようと私に現地行きを指示したのだ。

 支社のデスクに取材を依頼してきたのは東京本社社会部の斉藤茂男という連載のルポ記事で名の高いデスクで「瀬戸内さんに会い、得度する心境を聞いてほしい」ということだった。これに関しては他の報道機関には漏れていないという話で、事前に会って話を聞くことができれば独占記事になるはずだった。カメラマンとともに社有の車で真夜中に仙台を出た私たちは、未明に中尊寺に到着した。宿坊を探し東京からやってくる瀬戸内さんを待ち構えているうち、次第に夜が明けてくる。中尊寺の周囲には紅葉が残っていて、美しい晩秋の姿を見せていた。しかし気温は零度近くまで下がっていて、体の震えが止まらない。  

 斉藤さんは瀬戸内さんと親交があると聞いた。徳島ラジオ商殺し事件で犯人とされた冨士茂子さんの冤罪をともに信じ、記者と作家としてそれぞれ支援活動をしていて知り合ったのだ。(懲役13年の有罪判決を受け冨士さんは仮出所後、再審請求の途中でがんのために死去したが、請求が通り、死後無罪判決が出ている)

 夜が明けても瀬戸内さんがやってくる様子はない。しびれを切らした私は宿坊を訪ね、瀬戸内さんの関係者に面会を求め「東京の斉藤デスクの指示で来た」と伝え、名刺を渡した。しばらくして関係者が戻ってきた。マスコミを警戒してひそかに裏玄関から宿坊に入ったそうで、「瀬戸内は間もなく得度なのでお会いはできないが、この朝の心境を句に書いたので渡してほしいと言われた」と、小さな紙片をくれた。そこには冒頭の句が書いてあった。  

 それは、人生に一つの区切りをつけ、剃髪をする朝の感懐が伝わる句だった。瀬戸内さんは得度後、記者会見し「50歳を過ぎて、自分の精神にアカがついてきたように思う。ここで自分自身を解体し、新しい自分を探りたいという欲求が日増しに強まり、得度を決心した」と話した。この後、瀬戸内さんは、人々に希望を持つことの大切さを訴え続けた。

 手元に「仏教新発見」(朝日新聞出版、全30巻)という日本の名寺を紹介した冊子がある。瀬戸内さんはこの冊子で「いま、釈迦のことば」というエッセーを毎号に載せている。この最終号・30巻『萬福寺』(京都府宇治市黄檗宗=おうぼくしゅう=の総本山)には「この世は美しい」と題した文を寄せている。この中で瀬戸内さんは「『この世は美しい。人の命は甘美なもの』。私はお釈迦さまの遺された多くの尊いことばの中でも、このことばが、天来の音楽のようにかぎりなく美しく聞こえてきます」と書いている。

 紅葉の美しい季節に旅立った瀬戸内さん。その朝の空も、静寂だったに違いない。

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 昨年、婦人解放運動家で無政府主義者伊藤野枝を描いた村山由香の小説『風よあらしよ』(集英社)を読んだ後、瀬戸内さんの代表作である伊藤野枝と思想家で社会運動家大杉栄の評伝『美は乱調にあり』(岩波現代文庫)と『諧調は偽りなり』(岩波現代文庫)を続けて再読した。現場主義をモットーとする瀬戸内さんらしい徹底取材した作品だった。瀬戸内さんは、3・11の東日本大震災後は、住まいのある京都から被災地に度々足を運び、被災者の心の支えになった。常に前を向いて歩く人だった。

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 写真は中尊寺金色堂と昨日に続き今朝も現れたビーナスベルト現象

2073 ビーナスベルトに酔う 自然のアートに包まれて

    

 毎朝、6時前に散歩に出ます。いつも最初に歩くのは調整池を回る遊歩道ですが、今朝歩いていて西の空を見上げますと、下の方が藍色でその上の部分がピンクに染まっていました。なかなか幻想的0で美しい空の色でした。日の出前のことです。これはビーナスベルトという現象だそうです。こうした豊かな自然に包まれて歩いていますと、これまで続いてきたコロナ禍の憂鬱を忘れさせてくれるのです。

 ビーナスベルトは、日の出前や日没後の空がピンク色の帯状に空が染まる現象で、青い空に薄いピンクの帯がかかるその様子は天女のドレスに巻いた美しいベルトのように見えるため、こんな名前が付いたそうです。ピンクの下側の藍色の部分は地球の影といいます。この現象は大気が澄んでいて、太陽の光が空に残っている、という環境のもと、早朝及び日没のころに太陽とは反対側の空に描かれるもので、自然のアートといえるでしょう。時間が過ぎるに従い、その色も少しずつ変化するようです。今朝、私の住む千葉市の日の出の時間は午前6時12分で、空が明るくなるにつれてこの現象は消えていきました。

 南極の昭和基地では、大気が澄んでいるためこの現象は結構多いようです。それに比べると、首都圏の一角にあるこの地域は大気が澄んでいるとはとても言えません。とはいえ、こうした現象を見ることができるのですから、わが街もそう捨てちゃものではないなと感じています。

 最近は温暖化や中国のPM2.5による大気汚染問題など、地球の自然環境悪化のニュースが少なくありません。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの嘆きを聞いていて、大人としての責任を感じています。そんな現状だからこそ、自然界のアート現象がたまらなくうれしいのです。

 百科事典を見ますと、日の出前のことを薄明(はくめい)ともいうそうです。気象用語では太陽の高さによって「天文薄明」「航海薄明」「通常薄明」(「市民あるいは常用薄明」とも)に分類されており、夕方は逆の順で日没になります。低緯度地方では1年を通じて薄明は短く、高緯度地方では長く、夏には白夜になるそうです。薄明の時間帯はビーナスベルトのような現象がみられるため「マジックアワー」と呼ばれているとか。そうだとすると、これから寒さが増しても朝の散歩は欠かせないと思っているのです。

「空は 満ちたる虚ろ。その色が なぜ こうも美しく 海に影を落とす?」と表現したのは詩人の吉野弘(「海」より)でした。今朝の空の色は確かに美しく、「満ちたる虚ろ」のように見えた気がします。

(この現象は、夕方東の空にも現れました)

    

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 写真 調整池から見た朝のビーナスベルト(4枚)。5枚目はその後の風景。そのあとの2枚は夕方のビーナスベルト。

2072 シリウスとの対話 かけがえのない犬たちへ

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「○○よく頑張ったね。いい子だね」。夕方、散歩をしていたら、小型犬を連れた若い女性とすれ違った。しばらくして、こんな声が聞こえた。だいぶ遠くなってからあの犬がしきりに吠えている。私とすれ違った犬は人が近づくとほえてしまうのだ、でもそれを我慢したから、飼い主からほめられたのだろう。叱られるよりほめられた方がいいことは犬だけではない。人間だってその方が成長にいいらしい。あの犬も飼い主とともにいい関係を築くだろうと思いながら、ゆっくりと歩を進めた。

 私の家もこの夏までは犬と縁があった。これまでのブログで書いている通り、ノンちゃんというミニチュアダックスフンドを預かっていたし、その前にはhanaと名付けたゴールデンレトリーバーを飼っていた。hanaもノンちゃんも私や家族が外出から帰ると、玄関で大騒ぎをして迎えてくれた。特にhanaは玄関から居間まで走り回り、妻に「うるさいよ」と叱られ、急に大人しくなる。その姿はなかなか愛嬌があった。

 hanaは8年前の2013年7月30日、ノンちゃんはことし6月15日に旅立った。hana11歳、ノンちゃん15歳だった。2匹とも私たちにとってかけがえのない家族の一員であり、一緒に暮らした日々はとても大切だったから、時折思い出す。近所に住んでいる小学生の家族が我が家にやってきて「ノンがいないのかなあ」とつぶやいたりするのを時々耳にする。私もhanaが玄関で踊るようにして出迎えてくれる姿をしばしば想像してしまう。

 この前(7日、日曜日)の朝日歌壇(高野公彦選)にかけがえのない犬を失ったことを歌った2首(3、4首目)が載っていた。私たち家族の思いを代弁してくれるような歌ではないかと思った。

 ▽名前書きし首輪ゆっくりはずしてやり聞こえるうちに「ありがとう」を言う(伊賀市・秋田彦子)

 ▽玄関のタイルに残る染跡は犬がいた場所そしていない場所」(山口県・庄田順子)

 ▽評 3首目、犬の臨終を看取る歌。4首目、犬を偲ぶ歌。いずれもが犬が好きな人だろう。(ブログ筆者注・好きというよりも大好きな人の歌だろうと思う)

 hanaとノンちゃんは、我が家の庭先にある金木犀の近くに眠っている。この場所は2匹が好んで遊んだところだ。居間からもよく見えているから、2匹とも安心しているに違いない。私たち家族は、旅立った2匹が冬の空に輝くシリウスからコロナ禍の日々を送る人たちを見守っていてくれると信じている。おおいぬ座のこの星は全天で最も明るい恒星だという。近い日シリウスを見上げ、2匹と対話をしたい。

 凍る闇シリウス光千変し 

   相馬遷子(そうま・せんし、1908~1976。長野県出身の俳人、医師。本名・相馬富雄)    

 

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写真

1、大雨から一転、空が明るくなり、雲も茜色に

2、天空には白い三日月が見える

3、4 在りし日のhanaとノンちゃん