小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1734 生きている化石の木が紅葉 街路樹の新興勢力・メタセコイア

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 手元に『巨樹』(八木下博著・講談社現代新書)という本がある。日本各地に存在するイチョウケヤキ、カツラ、マツ、スギ、クスノキ、トチ、サクラなどの大木を紹介したものだ。この中に高さが25メートル~30メートルのメタセコイア(和名、アケボノスギ)はない。実はこの木は前述の木々に比べると、日本では比較的新しい木なのだという。針葉樹ながら紅葉が美しいメタセコイアとは、どんな木なのだろう。  

 近所の公園を歩いていたら、メタセコイアが赤く色づいていた。落葉する直前なのだろう。カメラを構えるのは私だけではなかった。まっすぐに空に向かって伸びる円錐形の姿は凛としていて、見ていて気持ちがいい。近くの街にはこの並木道があるが、最近は全国でこの木が街路樹のほか公園や学校に植えられており、目にする人も多いだろう。  

 しかし、実はこの木は太平洋戦争が始まった1941年に、一人の化石学者によって化石が発見されたことから、新しい歴史が始まったのだそうだ。

〈この人は三木茂・元大阪市立大教授(1901~1974)といい、岐阜県兵庫県和歌山県の粘土層から発見したセコイア(高さ80メートル以上になる巨樹)に似た未知の植物の化石を「メタセコイア」と名付け、1941年9月に発表した。この植物はかつて分布していた日本を含む北半球では大昔に絶滅したものといわれていたが、4年後の1945年、中国・四川省磨刀渓村(現在の湖北省利川市)で、森林調査隊によって「ご神木」扱いとなって生育している大木が発見された。このため「生きている化石」ともよばれるようになり、米国の研究者が中国の現地を調査、植物の種子を採集して苗木を育てた。苗木は皇居に贈られたほか、三木さんが中心になった大阪市大の保存会にも100本贈られ、それらが日本各地の大学や研究所に配布された後、挿し木で苗木を増やし、希望者に配布するという形で全国に広まったのだという〉(以上・百科事典、新聞記事から引用)  

 メタセコイアは成長が早いため現在は美しい並木が各地に生まれ、中でも万博記念公園大阪府吹田市)の太陽の塔周辺と滋賀県高島市メタセコイア並木は名所になっている。    

 植物学者の牧野富太郎は「植物知識」(講談社学術文庫)で「植物に囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然の賜である。実はこれは人生の至宝であると言っても、けっして溢言(言い過ぎ)ではないのであろう」と、書いている。絶滅したはずのメタセコイアは、現代の風景の中で新興勢力ながら、ひときわ私たちを楽しませてくれる植物に位置しているといえるのかもしれない。