小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2079 せめて口笛を  人生は短し、芸術は…

      

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 ピアノやヴァイオリンは本当に素敵だと思うけれど、私には手が出なかった。

 あくせく働くだけの私には、今まで、口笛をものにするのが精一杯。

 もちろん、それとてまだ名人芸からは程遠い。何しろ芸術は長く、人生は短し、だ。

 でも、口笛一つ吹けない人は可哀想だ。私など、おかげでどんなに多くを手に入れたことか。

 前々から、私は堅く心に決めたものだった、この道一筋、一段また一段と上っていこうと。

 目指す究極の心境は、自分も、あなた方も、世間の人たちも、みんな、口笛で吹き飛ばせるようになること。

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 これは、ヘルマン・ヘッセの「口笛」という詩だ。この詩を訳した音楽評論家の吉田秀和は「私も、結局、身につけるといって、口笛しかやれそうもないけれど、私の口笛は、ヘッセのアイロニー、ユーモア、その下を底流する諦念のペシミズムには比べるべくもない」(『音楽の光と翳』中公文庫)と、書いている。私といえば、口笛は適当に吹くだけで、人に聞かせることはできない。さらに、ピアノやヴァイオリンだけでなく楽器をものにする人は異次元の世界にいるように思う。先ごろ行われたショパン国際コンクールで2位と4位になった反田恭平さんと小林愛実さんの本選での演奏(ショパンピアノ協奏曲第1番 ホ短調)をYouTubeで見て、それを確信した。

 ヘッセはこのような詩を書いている。しかし、実際には子どものころからヴァイオリンを弾き、身近に音楽がある生活を送った。フォルカー・ミヘェルス編・中島悠爾訳『ヘルマン・ヘッセと音楽』(音楽之友社)にそのことが詳しく書いてある。ヘッセは後半生、執筆以外の時間はほとんど自宅の庭仕事をしながら過ごしたという。ヘッセにとって、庭仕事は「魂を解放させてくれる」大事な時間だったといわれる。この時、ヘッセは口笛でどのようなメロディーを奏でていたのか……。

 ハーモニカを趣味にしているという知人がいる。どのようないきさつでこの小さな楽器に親しむようになったか、聞いたことはない。忙しい人生を送ったこの人にとっても、ヘッセの口笛と同様、ハーモニカは心の友になったのだろう。この人はかつての強豪高校と知られる高校の野球部員で、内野のレギュラーだったそうだ。野球部の仲間たちは高校卒業後それぞれの道を歩んだが、毎年一度は集まり旧交を温めてきた。当初20人近いメンバーがいた。

 しかし、年月が過ぎるとかつての球児たちも櫛の歯が欠けるように次第にその数は少なくなり、今年集まるのはわずか3人のみ。まさに人生は短し、を感じる。3人だけの集まりで、知人は友人2人にハーモニカのメロディーを聴かせるのだという。

 

※お知らせ このブログ名「新・小径を行く」は2078回から以前の「小径を行く」に戻しております。よろしくお願いいたします。