小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2045「三つのベースに人満ちて……」 野球の華に挑み続ける大谷

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本塁打(ホームラン)は、野球の華」というそうだ。9回裏、相手チームに3点の差で負けていても、走者満塁で次の打者がホームランを打てば、劇的な逆転勝ちとなる。一発逆転で負けから勝ちにひっくり返すのだから、本塁打は大きな魅力がある。それをメジャーリーグ(大リーグ)で体現しているのがアメリカンリーグエンゼルス大谷翔平だ。パワーあふれる多くの大リーガーを抑えてホームランダービーのトップに立つ大谷。ベーブ・ルース以来の二刀流選手として力を発揮し、大きな脚光を浴びているのだから驚くばかりだ。

  かなり以前のことだが、東京ドームの巨人戦で阪神フィルダー(米国出身)が放った一打のことがいまも脳裏に残っている。1989年5月2日、フィルダーは巨人の香田投手が投げた緩い変化球に対し鋭くバットを振った。ボールは一直線に外野席後方の看板を直撃するという特大の本塁打になった。たまたまこの試合のチケットが手に入り、観戦した。フィルダーが打ったボールは、目にも止まらないと表現していいほど、ものすごい速さで飛んでいき、ドスンという音で看板に当たり、外野席に跳ね返った。それは驚きの本塁打だった。

  あれから、32年の歳月が流れている。今、私が味わったと同等かあるいはそれ以上の興奮をアメリカの野球ファンが体験しているはずだ。それを演出しているのは、もちろん大谷だ。日本時間の27日には41本目を打ったから、ア・リーグでの本塁打王獲得も夢ではなくなっているそうだ。大谷の先輩として、大リーグで活躍した松井秀喜は「理想のホームラン打者像」を模索したそうだ。「打球を遠くに飛ばすことは選ばれた人間だけにしかできない」と語った松井は、力と技を融合したホームランを目指した。しかし、日本最後の年の2002年に50本を打ったのに対し、大リーグでは1年目(2003年)は16本にとどまり、最高でも04年の31本しか打てなかった。

  これに対し大谷は今年になって急成長し、既に41本の本塁打を打っている。50本を超える可能性もあり、投手をやりながらこれだけの成績を収めるのだから他の選手にとっては驚異だろう。このブログを書くに当たって、本棚から鷲田康著『ホームラン術』(文春新書)という本を引っ張り出した。この本の中で鷲田は日本とメジャーの本塁打術の最大の違いは、パワー(力)とテクニック(技)への意識の置き方だと書いている。メジャーのホームラン打者にはパワー神話ともいうべきパワーへの憧れがあり、ウエートトレーニングに励み大きく強い筋肉をつけるのだ。

  一方、日本人は欧米人に比べて絶対的筋肉量が少なく、急激に大きな筋肉をつけると小さな筋肉とのバランスが崩れ、故障の原因になる可能性がある。こうした違いから、日本人選手にはパワー優先の本塁打術はそぐわない面もあるそうだ。身長177センチ、体重79キロの王貞治が868本もの本塁打を打ち、野村克也も激務の捕手をやりながら本塁打を量産したのは、たゆまない努力で本塁打を打つテクニックを身に着けたからだという鷲田の指摘は、間違いないだろう。では大谷はどうか。もちろん、日本人選手特有のテクニックもあるのだろうが、懸命なウエートトレーニングによって大きな筋肉をつけたとみていいのではないか。大谷の場合、並外れた体格(身長193センチ、体重95・3キロ)と体力を持っているから、小さな筋肉とのバランスが崩れるという心配もなく、打者と投手という稀有なことをやってのけているのだろう。

  今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな この句をつくった正岡子規はベースボール(野球とは言わなかった)をこよなく愛した。9回裏、ツーアウト満塁、打者はホームランバッター。この句からは、こうした息詰まる場面が浮かび上がる。8月も残りわずか、子規忌(9月19日)が近い。

 追記 米国のニュース雑誌「タイム」が毎年公表している「世界で最も影響力のある100人」2021年版の中に大谷も選ばれた。選評を担当したアレックス・ロドリゲス氏(ヤンキースなどで活躍、大リーグ歴代4位の696本塁打を記録)は、「現代版バンビーノ(ベーブ・ルース)」としたうえで「ベーブさえ同じシーズンに20以上の盗塁を決め、40本以上の本塁打を放ち、100マイル(約161キロ)を投げることはなかった」と評価したという。(以上、9月16日付朝日新聞夕刊より)

 写真 朝露が光る雑草