小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2077 絶望を託された私たち 上間陽子『海をあげる』

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《私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。私は川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。》

 上間陽子著『海をあげる』(筑摩書房)は、沖縄での日々の暮らしをつづったノンフィクションだ。これはその終わりの文章。本のあとがきで上間は「この本を読んでくださる方に、私は私の絶望を託しました。だからあとに残ったのはただの海、どこまでも広がる青い海です」と記している。上間の私たち本土に住む人々への問いかけに、どう答えればいいのだろうか。

 沖縄県で生まれた上間は現在、琉球大学教育学研究科の教授。那覇市首里城近くに住んだことがあるが、現在は普天間基地の近くに住んでいる。一時東京で暮らしたあと、沖縄に戻り、未成年少女たちの支援と調査を続けている。この本は幼い娘との暮らしや、自身の離婚のこと、性暴力に苦しんだ少女や風俗業界で働く若者らとの対話、普天間から辺野古への米軍基地移転問題等々、現在沖縄が抱えている実態を12の話に分け、研ぎ澄まされたような文章で表現している。

 最近、このような「はっとする」文章を読んだことはない。難解な言葉は使わず、冗漫でもない。読んでいて、作者の優しい人柄が伝わる。どうして、このような文章が書けるのかと、思う。本の内容は沖縄の現実を反映したもので、読み進めているうちに考え込むことが少なくなかった。社会調査とはいえ、暗い現実の中で生きる少年、少女、あるいは青年たちに向き合い、話を聞くことができる作者は、どんな人なのかと私は思う。

 12の短い物語の真ん中あたりに「三月の子ども」という話がある。その中に上間のゼミの卒業生で小学校の教師になった女性のことが書かれている。春休みに会いたいと連絡をくれた彼女は3月(新型コロナ感染症の拡大によって安倍内閣は突然全国の学校を一斉休校にした)、上間の家にやってきて涙を流しながら学校の様子を話す。

 コロナ禍、突然の休校、子どもたちとの別れの時間を奪われた悲しみを泣きながら話す教え子に、上間は「泣いている彼女にかける言葉はひとつもなく、私たちがいま奪われているのはなんだろうと考える。子どもの日々を知らず、家族の生活を知らず、教師の仕事を知らない誰かの決定によって、ひととひととが重ねる時間が奪われる。4月から1年間、関係を編み続けた子どもと教師がお互いのことを慈しみあう、そういう3月が奪われる。いままでの苦労のすべてが果報に変わるこの時期に、子どものいない学校に教師は通う」と書いている。

 この本は教育者という視点だけでなく、沖縄で幼い子どもを育てる母親の視点でも書かれている。保育園に通う娘とのやりとりが特に心に響くのだ。

 冒頭の言葉は、普天間基地の移転先として青い海に土砂投入が続く辺野古の海を指している。そこは絶望の海になりつつある。静かな希望の海に戻ることはあるのだろうか。

 ※この作品は、「2021年ノンフィクション本大賞」(ヤフーニュースと本屋大賞が共催。全国の書店員の投票で選出)を受賞した。