小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1724 59歳まで投げ抜いた伝説の投手 その名はサチェル・ペイジ

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 日本ハムから大リーグ(MLB)のエンゼルスに移籍し、投手と打者の「二刀流」で活躍した大谷翔平の新人王受賞が決まった。何よりのことである。大谷と比較されるのは、大リーグ史上最もよく知られているベーブルースだろう。ルースは、二刀流から出発し、打者に専念して大打者の道を歩んだ。ルースほど有名ではないが、大リーグで59歳までプレーした大投手がいたことを知る人はそう多くはないかもしれない。サチェル・ペイジという伝説の投手である。将来、大谷もペイジのように伝説の選手になるだろうか。  

 サチェル・ペイジは1982年6月8日に亡くなった。その時の死亡記事(AP・SW=共同)が佐山和夫『史上最高の投手はだれか』(潮出版)という本に紹介されている。記事によると、サチェル・ペイジは、ミズーリ州カンザスシティの病院で心臓病のため亡くなった。推定年齢は75歳。主な活躍の舞台は1920~40年代の黒人リーグで、ほとんど記録は残っていない。だが、練習試合で対戦したことがある火の玉投手といわれたMLBのボブ・フェラー(通算266勝)は「自分の速球がチェンジアップ(ストレートと同じフォームから投げるが、速球よりも格段に低速なボール)に見えるほどペイジの球は速かった」といい、ペイジの投球を見た人のほとんどが「自分が見た中で最も素晴らしい投手」と語っている。  

 黒人リーグで活躍したペイジはジャッキー・ロビンソンが有色人種の大リーグ入りを切り開いたことで1948年、42歳の時に初めて大リーグのインディアンスに入った。最後の登板は65年のアスレチックス時代で、59歳の時だった。通算成績は28勝31敗と目立つものではないが、黒人リーグでのカリスマ性は、ルースと並び称されるほどだったといわれ、71年には黒人として初めて野球殿堂入りをしている。  

 ペイジを知る人は、黒人リーグ時代のピッチングは神がかりで、その投球を見た時、全身が鳥肌だったと語っているから、すごい投手だったのだろう。右腕、長身から投げ下ろす速球はボブ・フェラーを驚嘆させた。当時は現在のような球速計はなかったが、ペイジの球速は160キロを超えていたのかもしれない。人種差別の壁が大リーグ入りを遅らせたため、成績は上述の通りである。ペイジがすんなり大リーグに入っていれば300勝はしたはずという見方をする人もいる。  

 日本人選手初の大リーガーは、東京で夏の五輪が開催された1964年、サンフランシスコジャイアンツに入った村上雅則である。以来、54年が過ぎて日本人大リーガーは珍しい存在ではなくなった。イチローのように野球殿堂入りが確実といわれる大選手も出ている。肘の手術をした大谷がけがを乗り越え、二刀流を貫き、大選手の道を歩くことができるどうか、だれも分からない。しかし、59歳まで投げ抜いたペイジもいるのだから、24歳の大谷がけがを克服し二刀流に戻るのは、困難なことではないと思いたい。  

 写真 霧に包まれた散歩コースの調整池。寒い朝でした。