小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1407 垣間見る山頭火の世界 どこからともなく秋の雲

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 夜が明けても見える月、あるいは明け方まで残っている月のことを「残月」という。朝、西の空を見ると、すじ雲(巻雲)を従えて白くて丸い月が、すすきの彼方に浮かんでいた。一昨日の夜は、だれが名づけたのかスーパームーン(要するに満月)だった。白い残月、秋本番が近付いていることを肌で感じる朝だ。  

 どこからともなく雲が出て来て秋の雲(旅心より)

 自由律の俳人で、放浪の生涯を送った種田山頭火の句である。変哲もないと思ったりするが、この発想は凡人の私にはできない。雲水と同じ網代傘をかぶった山頭火が、山道をのんびり歩いている。季節は秋。空は澄み切っているが、筋雲が薄くかかってきた。そんな光景が目に浮かぶ。

 山頭火は「私を語る―(消息に代えて)―」という随筆の中で、自身の生き方を書いている。  

 征服の世界であり、闘争の時代である。人間が自然を征服しようとする。人と人とが血みどろになって掴み合うてゐる。  

 敵か味方か、勝つか敗けるか、殺すか殺されるか、―白雲は峯頭に起るも、或は庵中閑打座(禅語で、庵中に心静かにただ坐り、白雲の湧きお起こるのを見ているという意味で、世の中のことは忘れ、自然に身をまかせて楽しむというたとえ)は許されないであろう。  

 しかも私は、無能力の私は、時代錯誤的性情の持主である私は、巷に立ってラッパを吹くほどの意力も持ってゐない。私は私に籠る、時代錯誤的生活に沈潜する。『空』の世界。『遊化』の寂光土(浄土)に精進するよりないのである。  

 このみちや   いくたりゆきし  われはけふゆく

 山頭火の諦念が感じられる文である。一方で、争いごとを厭う思いも伝わってくるのだ。こうした感情が、山頭火を旅へと駆り立てたのだろうか。

 新聞の国際面を見る。こんな見出しの記事が並んでいる。(主な記事、30日付朝日新聞朝刊)

「米ロ首脳 対立浮き彫り シリア危機 解決糸口つかめず」

「朴大統領 慰安婦解決訴え 国連演説 日本に対応迫る」

イラン大統領 米の中東介入批判」

「アフガン州都 政府反撃 タリバーン 住民に紛れ潜伏」

「結婚式に空爆131人死亡 イエメン」

「イタリア人殺害ISが犯行声明 バングラデシュ

「中国、外国人の行動警戒 日本人2人拘束『反スパイ』法律次々」

「EU、密航船拿捕へ 公海上転覆相次ぎ」

 現代は、山頭火が嘆く「征服の世界であり、闘争の時代」であることを、この記事を見て再確認せざるを得ない。『空』の世界に浸りたいと思うのは、私だけではないだろう。

 以下、山頭火が出てくるブログ

1007 山頭火と高倉健 映画「あなたへ」を見て思うさまざまな人生

1030 放浪の旅の本を読む 「悼む人Ⅱ」と「山頭火句集」

1041 被災地にて・石巻2 文人が見た日和山からの風景

1057 一枚の写真の偉大さ 中国・イリの大河の夕陽

1074 子どもは風の子 山頭火「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」