小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1401 白鵬の休場に思う 異文化の中で輝く存在

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大相撲で優勝35回という前人未到の記録を打ち立てた横綱白鵬が、秋場所初日から2連敗し、3日目から休場した。2007年夏場所後に横綱に昇進して8年、初めての休場だ。横綱と言えば休場が付き物のようで、白鵬以外の横綱は休場するのが珍しくはない。日馬富士は先場所(7月、名古屋)2日目から休場が続いている。 それにしても白鵬がいない土俵は気の抜けたビールのように感じられる。いかに白鵬の存在が大きかったかを実感する。異文化の世界にやってきて活躍するこの偉大な横綱に「国民栄誉賞」の声はかからない。なぜなのだろう。 国民栄誉賞の第一号は、プロ野球で世界記録となる通算868本の本塁打を打った王貞治(元巨人)で、1977年(昭和52)9月5日に授与された。王を表彰するため、わざわざつくった賞ともいわれ、内閣府の「国民栄誉賞表彰規程(昭和52年8月30日 内閣総理大臣決定) 」は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする」とあり、国籍については特に触れていない。王は、現在も中華民国(台湾)国籍であり、台湾では日本同様英雄的存在だという。 相撲界では、これまで千代の富士大鵬(死去後受賞)がこの賞をもらっている。2人とも活躍した時代は白鵬とは異なるが、相撲界をけん引した力士として69連勝の双葉山とともに相撲の歴史に大きく記されてもおかしくない存在だ。では、白鵬はといえば千代の富士大鵬を超えて、双葉山と並び称される大力士といっていいだろう。優勝35回は歴代1位、63連勝は双葉山に次いで2位なのだ。 だが、最近、白鵬の土俵態度(破った相手へのダメ押し、懸賞を受け取る際の大げさな仕草)や、言動が物議を交わすことが多くなった。それまでは優等生のように思われていた白鵬が感情を露わにするようになり、それがマスコミの餌食になった。横綱としてまだ力が残っているにもかかわらず、日本社会に合わずに角界を去ったモンゴルの先輩力士、朝青龍の騒ぎを思い起こされたが、白鵬は多くの場合、さまざまな批判に「無言」で応えた。 角界八百長疑惑で大揺れしどん底に落ちた際も支えたのは白鵬であり、東日本大震災のあと、被災者を激励するために率先したのは白鵬だった。モンゴルから異文化圏の日本にやってきて彼は輝く存在になっている。相撲協会は外国人力士受け入れに当たって、外国人力士が持つアイデンティティを排除し、日本的価値観を注入し、日本人に同化させようとしたとみられる。だが、その目的は半分しか達成されていないといえる。それは白鵬を見ていれば明らかである。白鵬は日本人女性と結婚したが、日本への永住は決めていない。白鵬はモンゴルと日本の狭間で揺れ動いているように見える。 こうした白鵬の考え方や最近の言動が「白鵬国民栄誉賞を」という声が聞こえない理由なのだろうか。そうだとすると、いかにも狭量だといわざるを得ない。 白鵬が次の九州場所で立ち直ることができるかどうかは分からない。けがは回復しても精神的なダメージがあるかもしれないからだ。2敗目を喫して土俵下で負け残りをする白鵬の体から汗が噴き出していた。彼の焦燥感を示しているように思えた。 写真は、白と赤の花が混在するフヨウ(記事とは無関係です)