俳人の正岡子規が亡くなったのは1902年(明治35)9月19日で、白露の末候「玄鳥去る」(つばめさる)のころだ。当時は秋のたけなわだったかもしれないが、現代は残暑厳しいころである。ロンドンに留学中だった親友、夏目漱石に子規の訃報が届いたのはそれから2カ月半後のことで、漱石は冬のロンドンで5句の秋の句を作った。
そのうちの1句に「手向くべき線香もなくて暮れの秋」という、「暮れの秋」という微妙な表現をしている句がある。 留学中の自分には、子規を悼んで手向ける線香もないという心境が表れている。
ロンドンは暮れの12月。しかし子規が死んだのは秋ということで「暮れの秋」という言葉を選んだろうか。このほかの4句は以下の通りである。いずれも、若くして死んだ友への哀切な思いが込められているといえよう。
筒袖や秋の柩にしたがわず
霧黄なる市に動くや影法師
きりぎりすの昔を忍び帰るべし
招かざる薄に帰り来る人ぞ
子規の最後の句は以下の3句である。いずれも糸瓜(へちま)が季語として使われている。糸瓜は食用のほか当時は明月の夜に糸瓜から取った水は、痰を切るのに効果があると信じられており、子規もそのことを知っていたのだろう。「子規の言葉は新しくなろうとする近代日本の言葉であった」(岩波新書『正岡子規』坪内稔典著)という。俳句を通じて、言葉の表現の意味を考え続けたいと思う。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間に合わず
をととひのへちまの水も取らざりき
散歩道に赤い萩の花と男郎花(オトコエシ)が咲いているのを見た。萩は白萩、後者は黄色い女郎花(オミナエシ)の方が目に付くのだが、こちらの花にも風情がある。遊歩道にあるトチノキ(マロニエ)から例年より早く実が落ち始めた。秋はすぐそこまで来ているのだ。
先日のブログで句会を紹介したが、もう一つの兼題だった「萩」と席題「秋」についての出席者による投句は以下の通り。
「萩」
咲きながら零るる萩の白さかな
陽水の夏模様消える萩盛り
花散らしさわさわ揺れる萩の叢
一字(ひとあざ)で守る無住寺萩咲けり
白萩の埋める苫屋に風立ちぬ
いざ鎌倉と馳せ参じけり萩満開
野仏に野趣を添えてる野良の萩
どっしりと座りし墓石に萩のもち
「秋」
遠足や学年それぞれ秋さがし
折りたたむ杖の握り手秋日濃し
日常茶飯小さく見えて秋高し
自販機のコーヒーぬるく秋暑し
人事の悲哀を思う秋没日
秋風に乗って薩摩へ鶴の群
月曜は休肝日なり秋暑し
飛びはねるおとの彼方に秋の風
写真 1、散歩道に咲いた赤い萩 2、同、オトコエシ 3、落ち始めたマロニエの実