小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1404 維持してほしい風情ある姿 2つの小さな仏堂

画像画像 全国に「阿弥陀堂」や「観音堂」「薬師堂」が幾つあるか知らない。だが、人それぞれに、この名称を持つ建物に接したことがあるだろう。2002年の映画『阿弥陀堂だより』に出てきた小さな阿弥陀堂は、味わい深い思いで見たことを覚えている。

 秋の彼岸の一日、茅葺の小さな「阿弥陀堂」と「観音堂」を見る機会があった。いずれも千葉県市原市の山あいにひっそりと建つ重文(国指定重要文化財)だが、私たち以外に堂に詣でる人の姿はほかになかった。

鳳来寺観音堂」(同市吉沢)と「西願寺阿弥陀堂」(同市平蔵)である。2つの建物は茅葺寄棟造(屋根が4方向に傾斜している)で、観音堂の屋根は苔が生えていてやや傷んでいるように見える。

 一方の阿弥陀堂の屋根は比較的きれいで、近年葺き替えられたようだ。2つの建物とも室町時代後期のもので、文化庁データベースによると、観音堂が1467~1572年、阿弥陀堂が1495年(明応4)の建立だ。

 世界(文化)遺産に指定され、多くの見学者でにぎわう岩手県中尊寺もかつては荒れ果てた時代があったという。そのことを古社寺調査の専門家で、漆工芸家の六角紫水が『六角紫水古社寺調査日記』(東京藝大出版会、吉田千鶴子・大西純子編)で書き残している。

 この本は紫水が明治時代に国宝指定のため全国の古社寺を回り、建物や仏像、絵画などの文化財の調査に当たった日記をまとめたもので、明治30年からの中尊寺の修理も触れている。

 紫水によれば「金色堂」は「堂宇(建物)はひどく荒れて居って、扉は開けっぱなしで、乞食がねて居ったり、参詣たした者が、蝶鈿(らでん)をはがしてお守りにして取って行ったりしたので、中は汚く、かけらがおちたり、座板には穴があいたりしていた」という。中尊寺には何度か行っているが、以前にこのような状態があったことは思いもよらなかった。中尊寺には金色堂以外にも峯薬師堂や阿弥陀堂もあり、現在では手厚い保護と維持管理がされている。

 一方、重文とはいえ風雨にさらされ、鳳来寺観音堂のように傷んだ文化財も少なくないのではないか。国宝や重文に指定されると、大規模な修理や防災設備などの設置の際に一定の割合で補助金が出るほか、固定資産税が非課税になる。

 だが、そうした補助があっても、小さな寺が檀家とともに文化財を維持管理するのは、そう簡単なことではないようだ。 2つのお堂は、500年という長い歳月、戦乱と風雪に耐えて今日まで残った。地域の人たちが守り続けたのだ。その姿は風情がある。朽ち果てることないよう、この姿を維持し続けてほしいと願わざるを得なかった。

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