小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1920 旭川を愛し続けた人 少し長い墓碑銘

IMG_0745.jpg

 せきれいの翔(かけ)りしあとの透明感 柴崎千鶴子

 せきれいは秋の季語で、水辺でよく見かける小鳥である。8月も残りわずか。暑さが和らぐころとされる二十四節気の「処暑」が過ぎ、朝夕、吹く風が涼しく感じるようになった。晩夏である。遊歩道に立つと、写真のような透明感のある風景が広がっている。空には今日も雲がない。そんな空を見上げながら、北の地に住んでいた先輩の旅立ちを偲んだ。

 北海道2番目の都市、旭川の郊外にTさんは住んでいた。かつて共同通信社旭川支局長とし3年間を送ったTさんは、すっかりこの街が好きになった。「定年になったら、絶対旭川に住む」と話すのを聞いて、私を含め多くの人が信じなかった。だが、定年退職すると東京の家を処分し旭川郊外に山小屋風の家を建て、彼はその言葉を実行に移した。  

 奥さんは東京から旭川に移り住むことをためらい、ようやくこの家に住むことを決心した時には病に侵され、この家に住んで半年で亡くなったから、ほとんどが一人暮らしだった。大学の芸術学部で写真を専攻し、卒業後米国の公的団体のカメラマンを経て共同通信に入り、写真記者(カメラマン)になった。イランでは車で取材に向かう途中、テヘラン支局長(記者)が死亡、Tさんが重傷を負うという大事故に遭遇した。同乗の記者が亡くなるという悲劇から立ち直るのは辛いことであり、私は当時、顔を合わせたTさんに容易に声を掛けることができなかった。  

 私はかつて仙台支社に勤務したことがある。東北新幹線が完成する前の、かなり昔のことだ。組合の春闘で、一斉昼休みの指令が出るとみんなで広瀬川の河原で昼食をし、その後、野球の試合をやった。古武士然とした支社長は夕方自宅に帰って和服に着替え、私たち若者を飲みに連れていく。酔いが回ると否応なしにみんなで青葉城に行き「荒城の月」を歌う。付近にいたカップルは、変なグループにかかわるとまずいと思ったのか、いつの間にか姿を消している。そんな牧歌的な時代だった。私とTさん、後輩のYさんの3人は仙台郊外の同じ団地に住み、家族ぐるみの付き合いをしてもらった。いつの間にかTさんの車で3人一緒で通勤した。その間、話をするのはTさんで、私とYさんは聞き役だった。  

 ある年の夏、Tさんと私は東北地方最大の有人島気仙沼大島へ取材に行った。島にキツネが増え、家々のニワトリなどの家畜を襲う被害が頻発したため、島の有志がキツネ退治をやるという話をTさんがどこかから聞き込み、私を誘った。その様子をルポとしてまとめるのが目的だった。しかし、キツネは頭がいいのか、みんな逃げてしまい、猟師たちに追われて捕まったのはタヌキばかりだった。キツネ退治は不発に終わった。これはこれで面白い写真と記事になった。これが縁で、この後私は何度もこの島を訪問することになる。  

 岩手県平泉の中尊寺で、作家の瀬戸内晴美さんが得度をするという情報があって、真夜中、Tさんと一緒に境内を張り込んだこともある。瀬戸内さんが姿を現したら事前にインタビューしようとわけだ。季節は11月、寒さに震えながら夜を明かした。瀬戸内さんはひそかに宿坊に入り、翌朝、宿坊を訪ねると、得度への心境を書いた俳句を渡してくれた。それが≪紅葉燃ゆ旅立つあさの空や寂(じゃく)≫だった。大島は東日本大震災関連のニュースで何度も取り上げられ、瀬戸内さんも病と闘いながら執筆活動を続けている。大島のニュース、瀬戸内さんの話題に接する度、Tさんと一緒に取材した若い日のことを思い出す。  

 Tさんは人懐っこい性格で、旭川で多くの友人を得た。それが高じて、定年後の旭川移住になったのだ。元気なころは知床に通い、写真家として熊の生態を狙い続けた。旭川には、地元の私立高校で理事長を務めたHさん(元共同通信社政治部記者)が住んでいる。2人は通信社記者とカメラマンとして同じ時代を送った。自分より年下のTさんを失って、Hさんは寂しさが募っているに違いない。

「風が吹いているあきらめることはない」 

 前田一石の川柳だ。コロナ禍が収束の見通しが立たず、友人、知人たちの訃報が続くこのごろ、ともすれば無力感に支配されそうになる。だが、前田の川柳は後ろ向きの気持ちを奮い立たせてくれるのだ。Tさんは、8月20日に亡くなった。77歳。寒花晩節(冬に咲く花が長い期間香りを保つことを人にたとえ、人生を終えるまで節義を保ち続けること)の人だった。

 ご冥福を祈ります。  

IMG_0741.jpg

 関連ブログ↓

813 世界遺産へ近づいた平泉 ≪紅葉燃ゆ 旅立つあさ≫を想う  

152 旭川に生きる 北の友人たち  

1374 映画「愛を積むひと」 美瑛を舞台にした大人のメルヘン 

1633 変わりゆく気仙沼大島 「空に海に胎動のとき」に

828 緑の島・気仙沼大島にて 机上よりも現場を  

1916 別れの辛さと哀しみ 遠い空へと旅立った友人たちへ