小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1633 変わりゆく気仙沼大島 「空に海に胎動のとき」に

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「空に海に胎動のときがめぐりきたらむ春一番の潮けむり」  この歌の作者は、宮城県気仙沼市の大島で漁業を営みながら短歌を作り続けた小野寺文男さんで、歌集『冬の渚』に収められている。大島は7年前の東日本大震災で大きな被害を受け、30人の死者不明者が出た。この震災のとき島民の足となった小型臨時連絡船が間もなく廃業になるという新聞記事が出ていた。3月は「空に海に胎動のとき」なのだが、明日は3・11から7年目。心は晴れない。  

 気仙沼市の大島は8・5平方キロの東北最大の島であり、約2500人が住んでいる。小野寺さんは漁業のほかに民宿も営み、私も何度か利用したことがある。しかし、大震災で海岸近くにあった小野寺さんの民宿は津波に流されてしまった。小野寺さん家族は高台に避難して無事だったが、その後民宿を再開したという話は聞かない。  

 震災で孤立した島民の足になったのは、菅原進さんの「ひまわり」という小型連絡船だった。津波が来たとき菅原さんはこの船を沖合まで避難させ流失を免れ、震災の2日後から気仙沼本土と島の間を夜間に無償で往復させ、孤立した島民の力になった。菅原さんは、ひまわりを避難させた際「おい、ひまわり、頑張れ。お前が死ぬ時は俺も死ぬ時だ」といって踏ん張ったことは、島民の間でよく知られている。  

 現在、気仙沼と大島の間には長さ356メートル(橋脚間の長さは297メートル)のアーチ橋が建築中で、2019年春までに完成する予定だ。そんな事情もあって菅原さんは廃業を決めたのだという。 「よろこびもかなしみもまた透きゆきて冬の渚に朝茜さす」。小野寺さんは、こんな歌も書いている。

「冬の日、著者は渚に立って、春のあの海へ憑かれたもののように胸おどらせて出ていった日を思い、また、夏のぎらつく海におのが仕事に挑みかかるように舟を出していった日を、そしてまた、海水の色もようやく藍いろ濃く漂う海面に、今年の収穫を納めるべく朝早く出かけた日々を思い出す。冬の渚は、たとえばこのように長い1年の生活を、そしてもっと長い人生の日々を、しずかに思い出す場として、著者はいつしか無意識のうちに、その冬の渚にひとり立つことを繰り返してきたのではなかったろうか」。歌人の加藤克巳さんは、歌集の序文でこのように書いた。  

 小野寺さんが渚に立って長年見つめ続けてきた大島の海の風景は、確実に変化を遂げつつあるようだ。「緑の真珠」といわれる美しい大島。自然に恵まれた島の人々の脳裏から震災のあの惨状が消えることはいつになるのだろう。

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 写真 1、廃業する「ひまわり」 2、高台から見た大島 3、港は津波で大きな被害を受け、岸壁には津波で乗り上げた船もあった 4、大島と気仙沼を結ぶフェリーから座礁した船も見えた(いずれも2011年3・11の後に撮影)