小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1919 近づく新米の季節  玄関わきに田んぼあり

IMG_0720.jpg

 今年も新米の便りが届く季節になった。散歩中に、近所の家の玄関わきで稲を栽培しているのを見つけた。水田というにはあまりにも小さい。高さ約30センチほどのコンクリートで囲った、1坪程度の小さな田んぼだ。中の稲は元気に育って実をつけ、頭を垂れている。ままごとのような田んぼでも、猛暑による熱中症を恐れコロナ禍にたじろぐ私たち人間を尻目に、自然界は実りの秋へと少しずつ移行を始めていることに気づかされるのだ。

 近所の家の簡易水田(こんな呼び方が適切かどうかは分からない)は、80歳を超えたと思われる元大工の棟梁が作ったものだ。以前はこの地区(千葉市)より、もっと東京に近い地域に住んでいたらしいが、息子がいるこの地区に引っ越してきて、平屋の家を建て、かなり広い敷地の半分は畑にして野菜や果樹を育てている。かつてコメも作った経験があるというから、その思い忘れがたく、こんな挑戦をしたのだろうか。既に稲穂を付けており、収穫も近いはずだ。一緒にこの稲を見に来た人は、「30株で、収穫は1升(1・5キロ)くらいかなあ」と予想していた。もちろん、皇居の水田にも及ばないはずだ。それでも約半年を掛けて栽培したのだから、貴重な米に違いない。  

 米といえば、かつては新潟や東北の山形、秋田、宮城などがうまい米の産出地域といわれた。ササニシキコシヒカリに代表される銘柄はよく知られている。以前はうまい米はないといわれた北海道を含め、現在ではおいしい銘柄が次々に誕生しており、どこに行ってもおいしいご飯が食べられるのは、研究者と米農家の努力の結晶といえるだろう。現在、品種登録されている水稲は約500品種あり、主食用に270以上の品種が栽培されているという。農林水産省によると、このうちコシヒカリあきたこまち、ミルキークイーン、ひとめぼれ、あさひの夢、いのちの壱、縁結び、キヌヒカリササニシキ、つくばSD1号、つや姫、にこまる、ハナエチゼン、ヒカリ新世紀、ヒノヒカリ、ほむすめ舞、みつひかり、ゆうだい21、夢ごこち――等は栽培面積も多いそうだ。  

 現在でも、おいしい米の代名詞になっているコシヒカリは1956(昭和31)年に品種登録された。新潟県農事試験場(現在の新潟県農業総合研究所)で農林22号と農林1号の交配で誕生したのだが、実際に農家によって栽培が始まるのはそれから10年後のことである。以前仙台に住んでいたころ、宮城県山形県など東北地方のほとんどでササニシキがおいしい米として農家の信頼を得ていた。しかし、いつの間にかコシヒカリに代表の座を譲った。秋田で開発されたあきたこまちも、ササニシキに負けない品種を作ろうという研究者たちの努力が生んだ成果だった。  

 米と稲の違いは何だろう。辞書を引くと、栽培される時期には稲と呼び、稲の種子が米なのである。「新米にまだ草の実の匂ひかな」 蕪村のこの句は、そのことを教えてくれるようだ。  

 2020年産米の収穫予想(7月31日現在、米穀データバンクの発表)によると、作柄の良しあしを示す作況指数(平年が100)は全国平均で98の「やや不良」だそうだ。この作況指数が74だったのが1993(平成5)年だった。この年のことはよく覚えている。記録的冷夏によって米が不作となり、全国的に米不足が顕在化し、大正の米騒動(1918年)を思わせる平成の米騒動と呼ばれたのだ。小売店から日本産の米が姿を消し、輸入されたタイ米が販売され、飲食店でもこの米が使われた。日本の米の味に慣れた多くの日本人には、タイ米は不人気だった。幸い、この年以降、こうした極端な米不作の年はない。しかし、近所の簡易水田を見ていたら、なぜか27年前の悪夢のような出来事を思い出してしまった。  

 余談 東日本大震災原発事故に見舞われた2011年、ドイツで開かれた女子サッカーW杯で日本チームが優勝するという快挙を成し遂げた。主将の澤穂希(ほまれ)選手の活躍を記憶している人は多いだろう。澤選手の名前は両親の祈りから付けられた。澤選手が生まれたのは1978(昭和53)年だったが、この年は冷夏が原因で40年ぶりに米が不作になった。そのため、両親は次の年からの豊作を祈って稲穂の「穂」と、父親が好きな「希望」の「希」をとり、このように命名したという。  

IMG_0719.jpg

 関連ブログ↓  

531 マロニエの葉散る朝 届いた季節の便り  

403 うぐいすが鳴いた 優しい初音  9

06 朝の散歩の風景 風評被害を助長した行政の怠慢  843 日本

再生のシンボルに 女子W杯優勝の金字塔