1986 渚に燃やせかがり火 永遠の海への祈り
「大島」と聞くと、多くの人は伊豆大島か奄美大島を思い浮かべるかもしれません。2つの島に比べますと、福岡県宗像市の大島、山口県の周防大島(屋代島)、宮城県気仙沼市の大島は「知る人ぞ知る大島」といえるでしょう。気仙沼の大島は東日本大震災の被災地としても知られていますが、私はここで知り合った一人の歌人の歌集を時々本棚から取り出し、絶唱ともいえる短歌を口に出して読んでみるのです。
還らざる死者を供養する施餓鬼会(せがきえ)の造花にとまる蜂のかなしみ
作者はこの島で漁業(海苔養殖)と民宿を営みながら歌を詠み続けた歌人、小野寺文男さんです。小野寺さんの歌集『冬の渚』(砂子屋書房)には、海とともに生きる人間としての喜び、悲しみを描いた歌が収められています。「施餓鬼会」の歌を含む歌集は大震災より遥か前の1986年に出版されたものですが、これを知らなければ3・11の死者を供養する歌と受け止めることもできるでしょう。
施餓鬼会は俗に生前の悪行によって亡者の世界に落とされた者の霊に食物を捧げ、供養する法要です。地域や宗派により開かれる時期は異なり、お盆のころが多いといわれています。この歌は歌集の中の「春」に収められています。大島では春(彼岸の時期か)にこの法要があり、こんな歌を詠んだのでしょうか。
海も空もひとつに溶けて秋まひる乾いた漁網(あみ)に蝶は動かず
とおく近く霧笛きれぎれに伝いきて寄り合い眠る島の仏は
あさあけの防潮林がしっとりと鷗の声の下にひろがる
我が代で海をつぐ家は終わりぬ漁場はるかに茜がもゆる
せいいいっぱいに海に生きねばと濤すさぶ冬の夜半を妻と歩みぬ
よろこびもかなしみもまた透きゆきて冬の渚に朝茜さす
海なりの窓の灯に蝶がまぎれて喧しき男らのこころをうばう
解体するわが眼にあつし船べりの亡父(ちち)と曳きたる綱の傷あと
小野寺さんは大島の海辺の家で生まれ育ち、海と共に生きました。そんな中で短歌に親しみ、短歌の世界に傾いていったそうです。小野寺さんを指導した歌人、加藤克巳さん(1915~2010)は、この歌集について「歌は、この著者にとって生きていく上での心の支えであった。とともに、歌は生活の証としでもあったのである。海をこよなく愛し、精いっぱい海に生きようとする自分を、作歌することによって、しっかりと確かめ、たしかめたにちがいない」と、評しています。そうです、島の自然を見続けた小野寺さんは海の歌人だったのです。
気仙沼大島も、3・11から逃れることはできませんでした。小野寺さんが営んでいた民宿も津波によって建物が崩壊し、私が訪れた時には民宿があった場所には傾いた柱だけしか残っていませんでした。小野寺さん夫妻は高台に避難して無事だったそうですが、海での暮らしが奪われてしまったことは言うまでもありません。
永遠の海への祈り点しゆけ渚にもやす男のかがり火
歌集にはこんな歌も収められています。「永遠の海への祈り」は、小野寺さんだけでなく海とともに生きる人たちに共通する心情なのではないでしょうか。
写真 近所で満開になったボケの花
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