小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1991 盤根錯節に遇いて利器を知る 他山の石より自民の石

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 政治家の言動を見ていますと、本当に勉強になります。自分の常識が間違っているのではないかとさえ思うことがしばしばあります。先日、元法相の河井克行衆院議員が、公選法違反(買収)事件の裁判で、これまでの無罪の主張を一転させました。河井氏は起訴事実の多くを認め、衆院議員を辞職すると述べましたが、これに対して自民党二階俊博幹事長は、「他山の石」という格言を使って感想を述べました。私はこのニュースを見て、この言葉は他人事のように聞こえて違和感を持ちました。こんな言葉がまかり通ってしまうのが、今の政界なのでしょうか。

 記者団に河井被告の裁判での発言について問われた二階氏は「党としても、こうしたことを他山の石として対応しなくてはならない」と語りました。他山の石について、辞書には「よその山から出た粗悪な石でも、自分が玉を磨く時の砥石に使うことができるという詩経のことばから、自分より劣っている人の言行を、わが身修め学問を磨くことの参考にする意という」(参考=人のふり見て我がふり直せ・東京堂出版『故事ことわざ辞典』)と載っています。 

 一昨年夏の参院選の広島選挙区で自民党は2人目の候補者として河井氏の妻の案里氏を擁立しました。もう1人の反安倍の候補者を落選させるためといわれ、党本部から1億50000万円という巨額の選挙資金が河井陣営に提供されました。この金が買収費用としてばらまかれ安里氏は当選し、もう1人の反安倍候補は落選しました。しかし河井氏と案里氏夫妻は公選法違反の買収で逮捕、起訴され自民党を離党、案里氏は有罪判決を受けて議員を辞職し、夫の河井氏も裁判が終盤になって選挙違反の行為を認めたのです。  

 金をもらった側は、大半がその事実を認めたことから追い詰められたためとか、罪を軽くするためとか、見方はいろいろありますが、河井被告の辞職に伴う補欠選挙があれば、自民党が不利になるため、補欠選挙をやらなくてもいいようにやめる時期を3月16日以降にずらしたのではないかという説が有力のようです。週刊文春に巨額買収事件が暴露されて1カ月余で安倍内閣法務大臣をやめた河井氏の事件は、政治家が金で動いていることを証明したといえるもので、「粗悪な石」が起こした事件といわれても仕方がないと思います。  

 とはいえ、どう見ても2人は「他山の石」ではないでしょう。自民党という山から出た石=「自民の石」あるいは「我が山の石」なのです。既に自民党員ではないから関係がない、で済ますことはできません。やはり、永田町の常識は国民の非常識なのでしょうか。提供された選挙資金のうち1億2000万円は政党助成金という税金だったそうですが、自民党からは詳しい説明がないのも不可解です(菅首相は、関係資料が検察に押収され戻っていない。戻ったら公認会計士に点検してもらい対応すると国会で答弁していますが、逃げているようにしか思えません)。

「盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇(あ)いて利器を知る」という言葉があります。「盤根錯節は曲がりくねった根と入り組んだ節、込み入っていて解決の難しい事柄」」という意味で、この言葉は「平和の時には人の良しあしは知りにくいが、困難があってはじめて、人物の賢愚がわかること」(東京堂出版『故事ことわざ辞典』)と、解釈することができるそうです。昨年から1年以上続いているコロナ禍によって、社会全体が困難に直面しているといえるでしょう。それだけに政治家の「賢愚」が評価される事態なのです。そういえば、このところ国会に提出された法案・条約でミスが多発しているそうです。政治家へ忖度を続けた官僚たちのやる気のなさが、こうした結果に現れたのでしょうか。

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 写真 満開の桜並木……
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