小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1982 子どもの目は常に幸福 ラオスでの出会い

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「目は心の窓」ということわざがある。マスク姿が常態化している日々。これまで以上に、相手の目元が気になる人が多いのではないか。国会中継をテレビで見ていると、政治家の目は暗いし虚ろな目もある。それに比べれば、子どもの目はきれいで気持ちがいい。      

  民俗学柳田國男がこんなことを書いている。「子供の眼は常に幸福である。よその多数の幸福を知らずに、安々とした眼をして居るのが、旅人に取っては風景よりも歌謡よりも、更に大いなる天然の一慰安である」(『定本柳田國男集 第2巻「子供の眼」』。「子供の眼は常に幸福」という表現は実にいい。これに続く「よその多数の幸福を知らずに、安々とした眼」にかつて、出会ったことがある。  

  2009年9月、インドシナ半島ラオスを旅した。8日間の短い旅だった。ラオスはどんな国か。地図で見ると、東南アジア唯一の内陸国で海がなく南北を貫くようにメコン川が流れている。2019年のGDP(国内総生産)は189億ドル(一人当たり2654ドル・外務省HP)で、後発開発途上国に指定されている。いわゆる最貧国といわれ、国民の暮らしは貧しい。  

  ベトナム戦争当時、米軍が投下した200万トン(約8000万発)のクラスター爆弾の不発弾が残されており、私が訪れた南部(パクセ、サラワン県)地域も例外ではなかった。そこにホーチミン・ルートといわれた山岳道路があった。ベトナム戦争当時、北ベトナムから中立国のラオスカンボジア国内を通り、南ベトナム南ベトナム民族解放戦線への物資や兵力投入の陸上補給路として利用されたため、米軍に狙われ、数多くの爆弾が投下された。森に入り、不発弾に触れて爆発、その犠牲になる人も後を絶たない。  

  そんな地域。子どもたちの目は、輝いていた。この旅の模様をこのブログに掲載し、その6回目で「輝く瞳の子どもたち」としてラオスの子どもたちの目の美しさについて触れた。そのまとめで私は「子どもたちから輝く瞳を奪ってはならない。それが大人の責任だと思う」と書いた。それは当時も今も変わりはない。  

 世界では子どもたちの目を曇らせる事態が相次いでいる。戦争や大災害、飢餓、疫病の大流行などで命の危機に瀕する子どもも少なくない。間もなく10年になる3・11もそうだった。原発事故で故郷から離れざるを得なかった子どもたちの目には、悲しみが宿っていた。 『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)に「『目』の見方」という詩がある。ここにある通り、目は正直なのだ。   

  目の中に、日と月がいて、明るい。   

 口もいくつかあって、うるさい。   

 月はもともと陽気でおしゃべりなのに   

 民の目は眠くて   罠の中  (中略)   

 目に表裏はない。   

 裏返されて逆さにされて、目が回っても!   

 とかく、心は、見たものを見ないと言い  

 ないものを見たと言うが   

 目は、目それ自身に正直だ。   

 その挙句、たとえ、運が裏目に出ても   

 目に表裏はない!  

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