小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1306 マララさんにノーベル平和賞 不屈の少女の行動

画像 女性の教育の権利を訴え続けているパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)=イギリス在住=とインドの児童人権活動家カイラシュ・サティアルティさん(60)が2014年のノーベル平和賞の受賞者に決まった。マララさんのことは、このブログでも取り上げている。受賞への祝福の思いを込めて、再掲する。

「16歳少女の不屈の志 「わたしはマララ」を読む」

 パキスタンのマララ・ユスフザイさんは16歳の少女である。同世代でマララさんほど世界に名を知られた少女はいないだろう。女性にも教育の機会をと訴え続け、イスラム過激派のタリバンによって頭を銃撃されたマララさんは奇跡的に命の危機を脱し、2013年国連で「学校に行けない子どもたちのために1冊の本と1本のペンを」とスピーチした。

「わたしはマララ」というマララさん(クリスティーナ・ラムという女性ジャーナリストと共著・学研パブリッシング)の本を読んだ。たまたま、1月8日のNHKTV「クローズアップ現代」でも、マララさんのことを「不屈の少女」として取り上げ、キャスターの国友裕子さんがインタビューしている映像が流された。

 その最後で、マララさんは「将来は政治家になりたい」という希望を持っていることを話していた。そうなってほしいと画面を見ながら思った。 アジアの山岳少数民族が住む地域で、学校を建設するプロジェクトを進めているNPOと少しかかわりがある。アジア教育友好協会(AEFA)といい、主にベトナムラオス、タイの山岳地帯で既に100校以上の学校(小学校が中心)を建設している。

 そこはマララさんの本に出てくるように、子どもたちの多くが教育の機会を奪われた地域だ。勉強をしたくとも1冊の本も1本のペンもなく、学び舎ももちろんない。 そんな地域に入り込んでAEFAは学校をつくり、ことしで10年になる。2009年9月、AEFAの人たちとラオス南部の山岳地帯・サラワンに行き、現地の実情を見る機会があった。そこにはキラキラと瞳が輝く子どもたちがいた。

 マララさんが本の中で書いているのと同様、子どもたちは学校へ行くのが楽しくてしようがない、そんな表情をしていたことを忘れることができない。 マララさんの国連でのスピーチを聞いた私は、ラオスベトナムでも同じ状況があることを思い出した。マララさんが住んでいた(現在は家族とともに英国在住)パキスタンは、タリバンが女子教育を否定し、教育の機会均等を訴えたマララさんはその標的となった。

 学校から帰るスクールバスの中で銃撃されたマララさんはパキスタンの医師の的確な手術や移送されたイギリスでの手厚い治療で回復する。その衝撃的な経過は、この本の後半部分で書かれている。 この本は未来への大きな希望を持った少女の悲劇と再生の物語だ。タリバンの勢力拡大とともに治安が悪化するパキスタンの山岳部・スワートで成長し、学校が大好きでたまらない少女が理不尽としか思えない凶弾に倒れ、回復するストーリーである。

 マララさんの生い立ちは既によく知られているが、この本を読むとなぜマララさんが凶弾を受けることになるのか、パキスタンという国の実情もよく理解できるはずだ。翻訳本とは思えないほどの分かりやすい文章であり、この本が日本国内でも多くの読者を集めると予感する。 本を読み終えて世界のことや日本のこと、そしてマララさんのことを考えた。

 戦争の世紀といわれた20世紀から21世紀になってかなりの時間が過ぎた。にもかかわらず世界情勢は平和とは反対の方向へと動いているように思えてならない。マララさん、そして東日本大震災被災地の子どもたちのような賢明で不屈の魂をもった少女・少年たちがリーダーシップを握る時代がくれば、この状況に変化が現れるのだろう。そう願う。

 死語でなかった「奴隷」という言葉  ナイジェリアの女子生徒誘拐事件に思う

遥かなりラオス(1) 山岳地帯へ・その1

遥かなりラオス(2) 山岳地帯へ・その2

遥かなりラオス(3) 山岳地帯へ・その3

遥かなりラオス(4) 山岳地帯へ・その4

遥かなりラオス(5) 山岳地帯との別れ

遥かなりラオス(6) 輝く瞳の子どもたち

遥かなりラオス(7)完 600キロの深夜バスの世界

遥かなりラオス(8)番外編 こみ上げる去りがたい思い ラオス・タイ国境で

遥かなりラオス・総集編