小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1459「ラオスにいったい何が」 特別な光と風を感じる人々

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 村上春樹の「大いなるメコン川の畔で」(文藝春秋社刊『ラオスにいったい何があるというんですか』所蔵)というエッセーは、ラオス世界遺産の街、ルアンプラバンの旅の記録である。

 この街へ入るときに通過したベトナムハノイベトナム人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか」と不審そうに質問された村上は、言外に「ベトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか」というニュアンスが読み取れたという。その答えは―。 村上は滞在したルアンプラバンの街の光景を記したあと、最後にこんな趣旨のことを書いている。

ベトナム人の質問に対し、明確な答えを持たない。ラオスから持ち帰ったものはささやかな土産物のほかに、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがあり、特別な光があり、特別な風が吹いている」と。

 私も以前ラオスを訪れる前は、ベトナム人と同じような意識を持っていた。ラオスインドシナ半島ベトナムとタイ、中国、ミャンマーカンボジアに接する海のない農業国で、フランスからの独立と長い内戦、ベトナム戦争当時米軍が投下した大量のクラスター爆弾の不発弾の存在、国民所得も低い世界の最貧国の一つ……程度の認識しかなかったからだ。

 だが、村上が書くような特別な光、特別な風を感じながらラオスの街を歩いている人たちに同行して南部の地方を歩き、ラオスの何かを感じ取った。2009年のことである。同行した人たちは、首都ビエンチャンやルアンプラバンとは反対のラオス南部のサラワンを中心に山岳少数民族の子どもたちの学校を建設しているアジア教育友好協会のメンバーたちだった。

 その一人のKさんは、2004年6月の団体創設のあとに入り、間もなく活動的10年になる。強い風が吹くと飛ばされそうなくらい、小柄で細い身体付きだが、芯が強くて頼もしい女性である。困難なことがあっても動じず、この団体のラオスでの支援活動を担っている。Kさんに「ラオスにいったい何があるのですか」と、聞いたことはない。

 だが、もし質問をしたなら、明確な答えを持たないという村上とは違って、確固たる答えが帰ってくることは間違いないはずだ。 Kさんらの活動舞台は次のような地域である。

《日本の街にはスーパーマーケットがあるそうですが、私たちは、森のことを「森のスーパーマーケット」って呼んでいます。おなかがへったら、村にお店なんてないけれど、森に行けばタケノコやキノコがあり、それに虫たちもいるので、食べ物をみつけることができるのよ。だから、森のスーパーマーケットなの。男の子は手づくりのパチンコで小鳥を捕まえたり、木の実を採ったりします。

 時々、お父さんが森の奥深くまで入って、鹿やムササビを捕ってきてくれるのよ。これすごいごちそうなの。村を通りかかる人に、獲物を売ることもありますよ。お母さん、お姉ちゃんは、畑でトウモロコシやキャッサバを育てています。雨がたくさん降る時期には、川が氾濫して畑が流されちゃうこともあるのです。

 食事はよくて一日に2回です。1回しか食べられないときもあります。お米がなくなる7月から次の収穫の1月まではおなかがいっぱいになる日はありません。そのときのために、タケノコとトウガラシの漬物をつくったり、蛙の干物をつくったりして保存しておくの。》(かんき出版『輝く瞳とともに』サラワン県タオイ地区の子どもの話より)

 自然の中での厳しい生活だ。だが、子どもたちに暗さはないばかりか、その目は輝き、澄んでいる。そんな目をした子どもたちがラオスの将来を担っている。

 ラオスの旅の連載ブログ

520 遥かなりラオス(1) 山岳地帯へ・その1

521 遥かなりラオス(2) 山岳地帯へ・その2

522 遥かなりラオス(3) 山岳地帯へ・その3

523 遥かなりラオス(4) 山岳地帯へ・その4

524 遥かなりラオス(5) 山岳地帯との別れ

525 遥かなりラオス(6) 輝く瞳の子どもたち

526 遥かなりラオス(7)完 600キロの深夜バスの世界

529 遥かなりラオス(8) 番外編 こみ上げる去りがたい思い ラオス・タイ国境で

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