小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1981 自転車に乗るうれしさと怖さ 朔太郎の「日記」から

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 私は雨の日を除いて1日に1回は自転車に乗る。いつ覚えたかは忘れたが、もう長い付き合いだ。窓の外に見える遊歩道でも、自転車が散歩の人たちの脇をすいすいと進んでいる。大人から子どもまで自転車はこの街の風景に溶け込んでいる。時々、詩人の萩原朔太郎の『自転車日記』(以下、日記と略)を読み返す。ひやひやしながら自転車をマスターしようとした詩人の姿が目に浮かび、「朔太郎よ、しっかり」と応援したくなる。

 朔太郎が弟の手を借りて自転車の練習を始めたのは大正10年、36歳の時だった。以下、漢字カタカナ混じりの日記を現代文に要約する。  

  12月20日 今日から自転車を習おうと思い、貸自転車屋から半日20銭(当時の1円は現在の約4000円だから、800円程度か)で1台を借り、付近の空き地で練習を始める。運転はかなり難しくペダルを踏もうとすると、すぐに転んでしまった。人に頼んで車体を押さえてもらい、ようやく車上に乗ったが、一歩を踏もうとするとすぐに転び、自転車とともに地上に落下してしまった。体が痛いのでやめて帰宅した。  

 12月21日 弟に頼んで早朝から練習をした。ようやく数回ペダルを踏むことができた。しかし、また車体から落ちてしまい、弟は「酔っぱらいがふらふら歩いているみたい」と言っていた。  

 12月23日 今日初めて正常に走ることができた。気持ちがよかった。だが、できたのは真っすぐのみで、曲がろうとすると、すぐに転んでしまう。弟は「自転車は物理力学によって走る。転ばないためには重心を安定させること、重心は腰を使うことだ」と教えてくれた。これで要領が分かり、練習場内を一周し、自由に操縦できた。内心得意になった。試しに外に出てみると、坂道があって自転車はスピードが増し、不安になった。  

 前を数人が歩いている。私は「危ない、危ない、避けて、避けて」と叫んだ。歩いている人は笑いながら「自分で避けたら」と言っている。避けようとしたら崖に衝突し、自転車は弓のように曲がってしまった。私も路上に落ち、体を打った。自転車屋に行くと損害料金として5円(現在の2万円程度か)を取られた。もう自転車に乗るまいと誓った。  

 1月10日 先日の誓いを忘れ、自転車の練習を再開した。借りたのは廃物同様の古いもので、ブレーキがついていないことに今になって気が付いた。  

 1月15日 乗り方を覚え、市中を縦横に走ることができるようになった。歩きなら数時間の道をわずか1時間で走り、疲れも感じない。世の中でこんなに気持ちのいいことはないだろう。地図と磁石を持って近県の町に遠乗りした。途中、汁粉屋で休んだ。帰ると、父は「汽車で往復したなら約50銭(現在の約2000円)かかるな」と感心していた。私がこの遠乗りで使ったのは汁粉代の8銭(同約320円)だけなので、自転車は便利ですね、というと、父は「何か用があって行ったのか」と聞いてきた。「何もないです。散策です」と答えると、父は「用事もなく出かけ、8銭も使うとは何の得もない。お前は小学生程度の算数も知らないやつだ」といって、大笑いした。  

 3月1日 市中を走る。前に1人の老婆が歩いているのでベルを鳴らしたが、気付かない。道路は狭く避けられず衝突し、老婆も倒れた。驚いて助け起こし「けがはありませんか」と聞いた。幸いけがはなく頭を下げて謝ったが、老婆は「私に何の恨みがあって、倒したのか」と大声を出して私を罵倒した。その姿は卑しく見え金を要求していると思えたので、若干の金を渡した。この金を老婆は投げ捨て、さらに怒って罵倒し続けた。私は恐縮してどうしていいか分からなくなり、何度も謝った。そのうち周囲がにぎやかになってきた。群衆が私たちを取り囲んでいたのだ。ますます恥ずかしくなり困っていると、知人が出てきて老婆をなだめ、ようやく怒りを解いてくれた。これを心にとめるため日記に記す。  

  詩人の荒川洋治は「自転車で歩く人」という朔太郎の詩について書いた文(ちくま日本文学全集萩原朔太郎筑摩書房)の中で、この日記にも触れ「ぼくはこのエッセーを読んで朔太郎さんがとてもすきになってしまった。だってかわいいんだもの。その詩よりも親しみを感じてしまった」と、感想を記している。  

  一度はやめようとしながら練習を再開し、苦労してようやく自転車に乗ることができるようになったうれしさ(弟と父親とのやりとりが笑えます)や人にぶつかってしまった当事者としての困惑ぶり……が手に取るように伝わる日記だと思う。既に『月に吠える』を発表して、詩人として知られる存在になっていた朔太郎だが、この日記を見る限り、どこにでもいる普通の人だった。それが荒川をして「かわいい」と思わせたのかもしれない。「相対性理論」で知られるドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインは「人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない」と述べている。言い得て妙である。  

  自転車は便利で楽しいのですが、油断をすると危険です。事故も増えています。マナー違反の自転車も目立ちます。注意しましょう。