小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1950 散歩の途次にて 見上げる空に不安と希望が

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「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」。哲学者、西田幾多郎(『続思索と体験・続思索と体験以後』は、自身の半生をこんなふうに書いている。学問の道を貫いた人の、何とも簡潔な表現ではないかと思う。

 西田といえば「善の研究」で知られる京大の教授だった。京都左京区琵琶湖疏水に沿った「哲学の道は」、西田が散策したことで知られている。本場の哲学の道は、ドイツ・ハイデルベルクにあり、京都の道とは違って街を見下ろすやや高台の道だ。この町を愛した文豪ゲーテも何度か訪れ、歩いたといわれている。  

 ゲーテは自身の人生について「自分の生活を振り返って見ると、支離滅裂な生活としてしか目に映じない。ゆるがせにしたこと、失敗したことが、いつも先ず浮かんで来、空想力の中で成しとげたことや到達したことを圧倒するからである」(「格言と反省」)と書いている。新型コロナのニュースが続く日々。黙々と歩く人たちの姿が目に付く。私もその中の1人だ。昨夜パラパラとめくった本の数行が頭に浮かんだ。そうか、秋は人生を考える季節なのだと思う。  

 行き交う人の半分はマスクで顔を覆っている。例年にはない街の風景だ。マスク姿の人たちの表情はよく分からない。やがて、マスク姿の、高齢者と思える男性が鼻歌を歌いながら、のんびりと歩いているのが目に入ってきた。だんだん近づいてくる。歌はやまず、目が笑っているように見える。この人は私の知り合いではないが、すれ違う際に頭を軽く下げた。私も会釈を返した。何かいいことがあったのだろうか。初めての孫が生まれたとか、初恋の幼なじみと再会したとか……。  

 この人の人生は、西田のような一筋の道を歩んだのか、あるいはゲーテが謙遜して言っていると思える「支離滅裂な生活だった」のかどうか……。遠ざかる後姿を見ながら、彼の人生を想像した。しばらくすると、東の空が赤く染まってきた。朝焼けだ。その色はムンク「叫び」の絵のようだ。調整池の遊歩道。私はスマホのカメラを構えた。前を歩いている人も、立ち止まり、しきりにシャッターを切っている。

「叫び」が描かれた19世紀末は実存の不安が問われた時代だった。理不尽で不条理の世界に住む人たちの不安感を描いたといわれるムンクの絵。私が見上げる空は、絵の不気味さに引けを取らない朱に近い色だ。21世紀前半の世界。突然やってきた新型コロナというウイルスによって、全世界が不安感に覆われている。この空も私たちの不安感を象徴しているかのようだ。しばらくすると、南の空に虹が上がってきた。虹はわずか数分で消えた。自然現象とはいえ、あの虹は不安な時代を送る私たちへの希望を持ちなさい、というメッセージだったのかもしれないと思いたい。  

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 856 原発事故を想起するムンクの「叫び」北欧じゃがいも紀行・1