小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1694 戦いに仆れた沖縄県知事 「わたしは人間だったのだ」

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 人は理不尽なことに対し、どのように向き合うか。その一つの答えを示し、道半ばにして仆れたのは現職でがんのために67歳で死去した沖縄県翁長雄志(おながたけし)知事だった。孤軍奮闘という言葉は、この人のためにあったといって過言ではあるまい。普天間基地辺野古移設問題で、文字通り命を削って安倍政権と対決した。沖縄の人々は現職知事の死を複雑な思いで受け止めているだろう。私は翁長氏の遺志は、純粋な気持ちを持つ多くの人に受け継がれると信じている。   

 わたしは人間だったのだ。 そしてそれは戦う人だということを意味している。                   (ゲーテ・西東詩編「入り口」より)  

 ゲーテが言う通り、人間の歴史は戦いの歴史でもあった。近世、2次にわたる世界大戦があった。その後も多くの人命を奪う戦いは21世紀になっても地球上から消える気配はない。この背景には相変わらず戦いを志向し、自己顕示欲旺盛なリーダーが次々に生まれることがある。いわば「強いものが君臨」するという、弱肉強食のライオンなど動物の世界と変わらない。だが、翁長氏の戦いは弱い者が強い者に抵抗するもので、逆境に置かれても理不尽なものを受け入れないという人としての尊厳の戦いだということを教えてくれた。  

 現代の日本。社会は成熟化したのかどうかは分からないが、革新という言葉は死語になりつつある。若い世代は現状固定派が多いと聞く。それは現在の自民党・安倍政権には極めて好都合なのだ。国会で好き勝手をやっても、内閣支持率は下がらない。国家の台所は危機的状況にあっても大盤振る舞いを続ける政権。牙を抜かれた官僚は忖度が仕事になっている。  

 そんな日本の現状に、南の島からノーを突き付けたのは翁長氏だった。孤独で絶望的な戦いを続け、死に臨んで翁長氏は何を思ったのだろう。哲学者のセネカは「死そのものより、むしろ死に付随するものが人を恐れさせる」という言葉を残している。翁長氏は自分の死に際し、沖縄の米軍基地からの解放を思ったに違いない。それは後々まで政権を担う人を恐れさせる怨念となるかもしれない。  

 南国の空青けれど   涙あふれて やまず   道なかばにして 道を失ひしとき   ふるさと とほく あらはれぬ         

         (立原道造の詩「南国の空青けれど」より)

 

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