小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1951 男たちはどんな顔? 険しく卑しくもの欲しげでずる賢くなっていないか

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「男たちはいい顔をしているだろうか。女の目から見てどう映るか」。男にとって耳の痛いことを書いた文章を読んだ。では日本の首相、アメリカの大統領は、いい顔をしているだろうか。考え込まざるを得ないのは、私だけではないはずだ。逆に、ニュージーランドフィンランドの女性首相は、まっすぐな瞳をした、品のあるいい顔をしている。

 愛媛県今治市出身の野崎進さんは、共同通信社会部で教育問題を中心に記者活動をした人だ。定年になると、郷里にUターンし「夢追い塾」という草の根の市民文化活動を実践し、2007年に病気で亡くなった。彼が発行した「夢追い塾」通信という小冊子が私の手元にある。その第6号(2001年2月)の冒頭に「時代の顔」と題した山下武都美さんのコラムが掲載されている。

 以下は、その全文だ。19年前の文章だが、現代にも通じる内容だと思う。現代の男たちの顔は堂々としているだろうか。

《男たちはいい顔をしているだろうか。女の目から見てどう映るか。私の知る多くの女性は世の男性より魅力的です。肉体的疲労はともかく精神的には活気があります。文化的、創造的な場所で出会うのは女性が多い。その多くが男性を魅力的だと見るより気の毒だと感じ始めています。  

 男性は社会や会社という組織のシステムに組み込まれ、我先にと走って息を切らせているが、それほど先を見ていないのではと思います。なのに、社会の担い手は自分たちだと自負しています。確かに、男は勤勉で、社会も男の価値観で動いています。しかしそれはどういう社会なのか。社会とは個人参加の公です。公が歪めば個人も倣う。個人が卑しくなれば公も卑しくなる。特に、政界、財界、官界の顔は公を代表して個人に反映するからいやでも座視できません。  

 男の顔は、各界のトップといわれる面々と、世間一般の両方を見なければならない。毎日のニュースはたいていが楽しくはない。不愉快な事件は数限りなく、人間は都合よく忘れていくからいいようなものの、忘れても、忘れても追いかけてくる。金をふんだんに使って国会議員になった人がその威光で大掛かりな詐欺事件の主役になったり、KSD(中小企業経営者福祉事業団)の黒い資金に群がる国会議員、大蔵省の堕落、厚生省にはひどい人がいました。「鯛は頭から腐る」といいます。政、財、官のリーダーたちに世の中を正す能力はない。世の男性はといえば、女性に比べ批判精神が不足しており、迫力を欠くように見受けられます。  

 男の責任が最も問われるのが戦争ですが、男たちは今も形を変えて戦争をしているのではないでしょうか。例えてみるなら「金権戦争」……。公共性の高い土地の価格まで架空の会社で転がしてはつり上げ、国に売った首相がいました。公共事業の名のもとに税金をつぎ込み、自然をどんどん破壊する。まるで地球に残された50億年という悠久の時間を大急ぎで食いつぶしている。この破壊的行為が戦争でなくてなんだろう。  

 時代の閉塞感が増しているのはこうした理由からではないでしょうか。現代人の顔は戦前より険しく、卑しく、もの欲しげでずる賢くなっているに違いない。》  

 山下さんの、この問いに「いや違う」と真正面から反論できる男性はいるだろうか。コロナ禍の現代。男たちの顔は「険しく、卑しく、もの欲しげでずる賢くなっていない」だろうか。自戒を込めて。