小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1560 「怖い絵」について 人の心に由来する恐怖

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 西洋絵画には、見る者に戦慄を感じさせるものが少なくない。そうした絵画を中野京子はシリーズで取り上げた。その第1作はラ・トゥールの『いかさま師』からグリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』まで22の作品を恐怖という視点で紹介した『怖い絵』(角川文庫)である。恐怖は人の心に由来するものであり、登場する絵も1点を除き、人間(ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』のような人を殺す恐ろしい場面の絵も含まれる)中心に描かれている。  

 その1点とは、ベルギーのフェルナン・クノップフ(1858~1921)作、『見捨てられた街』である。この絵について中野は「一瞬、色褪せて黄ばんだ古い写真と見まごう。上半分までが空。その湿った空の下には、鋭い切妻屋根の家と、広場と、海――。」と書いている。パステル画であり、ベルギー北西部のブリュージュ(日本で発行された世界地図にはブルッヘという表記が多い)を題材にした無人の街の姿を描いている。この町が廃墟になった歴史はなく、ベルギーの代表的観光都市である。  

 クノップフは、ジョルジョ・ローデンバックの『死都ブリュージュ』という小説に惹かれて、少年時代の一時期を過ごしたこの町をテーマに絵を描いたのだそうだ。心が壊れていく人間の姿を描いた小説の内容は割愛するが、「この絵の何が怖いかといえば、思い出に囚われたまま滅びゆこうとする人の心が伝わってくるからだ」と中野が分析している通り、人影のないブリュージュの街は静寂そのものであり、不気味で怖い。  

 私が美術館で実際に見た絵の中で、「怖い絵」を選ぶとすれば、戦争に蹂躙される人々をテーマにしたピカソの『ゲルニカ』(2009年、スペイン・マドリードのソフィア王妃芸術センター)とシャガールの『戦争』(2014年、国立新美術館で開催の「チューリヒ美術館展」)が頭に浮かぶ。  

 さらにもう1点、ムンクの『叫び』も忘れてはならない。『叫び』は5点以上描かれたといわれるが、5点が現存しているという。私が2011年にオスロ国立美術館で見た『叫び』は、同じノルウェーリレハンメルで開催された冬季五輪開会式当日の1994年2月14日に盗難に遭ったが、ロンドン警視庁美術特捜班の捜査で100日後に犯人が逮捕され、美術館に戻るという過去を持つ油彩画だった。  

 事件の経過はエドワード・ドルニック著『ムンクを追え!』(光文社)という本にもなり、美術ファンの間だけでなく世界的話題になった。その後、ムンク美術館に展示されていたテンペラ画も盗まれて損傷を受けるという被害を受けたことがあり、(犯人未逮捕、オスロ市内で発見され、修復後展示)、『叫び』は美術館にとっても「怖い絵」に入るのではないか。  中野は『怖い絵』の中で、ムンクの『思春期』というやせた少女の裸体絵を取り上げ、「誰もが真っ先にこの絵から感じるのは、強烈な『存在の不安』とでもいうべきものであろう」と書いている。それは、『叫び』にも共通しているイメージだ。

515 巨匠の国は落書き天国 スペイン・ポルトガルの旅(2)

856 原発事故を想起するムンクの「叫び」 北欧じゃがいも紀行・1

 1311 「戦争」を憎むシャガールの絵 チューリヒ美術館展をのぞく