小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1949 時無草~行く秋に

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「時無草」(ときなしぐさ)という名前の草はない。詩人の室生犀星と友人の萩原朔太郎は、詩の中にこの言葉を使っている。季節外れに芽吹いた草のことを犀星がイメージして詩にしたといわれ、朔太郎も使った、造語といえる。つい先日、散歩の途中、枯れた雑草の中で、紫色の小さな花が咲いているのを見た。名前は知らない。私にとって、その花は時無草のように思えた。

 秋のひかりにみどりぐむ  ときなし草は摘みもたまふな  やさしく日南(ひなた)にのびてゆくみどり  

 犀星の「時無草」は、こんな書き出しの詩だ。  

 先日、山道を歩いていたら、道わきの斜面にリンドウがひっそりと咲いていた。この花は、もちろん時無草ではない。だが、犀星のこの詩のような花だった。今年は房総半島に台風は来なかった。そのせいか、公園や街路樹(私の家の前はけやきがある)の紅葉が珍しく美しい。その紅葉も北風が吹くとハラハラと舞い落ちる。  

 行く秋にしがみついたる木の葉哉 子規の句。このような光景が遊歩道で繰り返され、スマホを構える人が珍しくない。きっと、いい写真が撮れたのだろう。こんなけやきの落葉が舞う、穏やかな日和の中を歩いていると、しばしコロナのことも忘れる。

 11月も中旬になると、毎日のように「喪中」の便りが届く。数年前、奥さんからの喪中ハガキで久しく会う機会がなかった友人の死を知った。その衝撃が尾を引き、喪中のハガキが届くと文面を読むことに躊躇する。この時期、気が早い人は年賀状を書き始めているはずだ。逆に、やめるかどうか迷っている人も多いのではないか。  

 メールやSNSの普及によって販売枚数が減少を続けているという。高齢を理由に年賀状をやめた知人も少なくない。郵便局員が一定枚数を買わされるノルマがあると告発があり、そのノルマをやめたら発売枚数が激減したという報道もあった。新年の風物詩といわれた年賀状。時代の変化とともに曲がり角に立っている。ただ私は「賀状よさらば」と、簡単に割り切れないでいる。  

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写真  1、山路に咲いたリンドウ  2、遊歩道も行く秋を演出  3、近所の団地横の皇帝ダリア  4、ピラカンサ(トキワサンザシ)の実が秋の日に輝いている  5、イチョウの葉も黄色く色づいた  関連ブログ↓  509 歌の風景 『少年時代』の風あざみ  1169 「天を突く皇帝ダリア空碧し」 コーヒー哲学序説