小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1765 春眠暁を覚える? 雉を見に行く

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「雉が増えすぎて困るから、野良猫がいた方がいいって言ってる人がいる」「それはおかしいよね」ラジオ体操仲間が、こんなことを話していた。その場所は私の散歩コースに当たり、なるほどこの数年、よく雉を見かける。それにしても「増えすぎる」とはどういうことなのだろうと思った。

「春眠暁を覚えず」(中国唐代の詩人、孟浩然の詩「春暁」=春はよく眠ることができるから、夜明けに気づかず寝坊してしまう)の季節だが、現実には寝坊するのはもったいない光の季節がやってきた。近所の公園広場で続いている朝のラジオ体操は、寒い季節になると極端に参加者が少なくなる。

 冬季の日曜日には10人に満たないときもある。夏場の最盛期には40人ほどになるから、その落差は大きい。しかし3月になると休んでいた参加者が次第に戻ってきて、20人近くになってきた。寝坊よりも朝のすがすがしい空気を吸いたいという人が増えてきたのだ。  

 ラジオ体操が終わると、急ぎ足で散歩に向かう人たちの姿があった。その一部は私の散歩コースでもある調整池まで雉を見に行くという。先ほど、雉のことを話題にしていた人たちだ。辞典を見てみると、雉は日本古来のもの(1947年に国鳥に指定)と高麗雉と呼ぶ外来種のものがいて、特に後者は繁殖力が強く、増えすぎているという話もある。私はたまたま望遠レンズ付きのカメラを持っていたので、後ろに付いていき、美しい姿をした一羽の雄雉を撮影した。その画像は掲載した写真だが、どう見ても日本固有の雉のように見える。  

 この周辺では野良猫に餌を与える人がいて、以前から野良猫が徘徊している。「猫に餌を与えないでください」という注意書きした看板も掲示されている。調整池周辺は雉だけでなく野鳥が生息しているから、猫は天敵なのだ。もちろん、雉の雛が猫に襲われることもあるだろう。そんな環境下、雉が増えすぎているのだろうか。私にはよく分からない。いずれにしろ、雉が多いということは都市部とはいえ自然環境が悪くないということなのだろう。  

 カメラを構えていると、その雉が「ケーンケーン」と鳴いた。その声は春の風に乗って調整池の小さな森へと向かっていく。新しい芽が出始めた森は折からの朝日を浴びて、光っている。それは「雉鳴くや風ゆくところ山光り」(相馬遷子)という句の世界を思わせるものだった。  

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 写真 1、調整池周辺で見かける雉 2、遊歩道に咲いた八重桜