小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1225 木々の若葉の光 百花繚乱の季節に

画像

 百花繚乱の季節である。その意味は、「種々の花が咲き乱れること。転じて、優れた人・業績などが一時にたくさん現れることをいう」(広辞苑)だそうだ。これからの季節は、文字通り百花繚乱といっていいほど、花が次々に咲く。わが家の狭い庭を見てもパンジー、チューリップ、海棠、シャクナゲミモザが咲き、ハナミズキオオデマリの全盛期もそこまで来ている。

 そんな季節、STAPという名の万能細胞をめぐるニュースは見ていて憂鬱になる。集中砲火にさらされた自称「未熟」という若き研究者に未来があるのかと思い、学問・研究の世界を敬遠する若者が増えるのではないかと危惧するからだ。

 毎朝、ラジオ体操をやっている広場に集まる。昨年夏以降の習慣だ。冬の間も休まずに続けた。しかし、高齢者は12月から3月末までは休もうという話し合いがあったらしく、冬期間の参加者は10人前後しかいなかった。

 だが、寒さも次第に緩み始め。4月になると4か月間休みを取っていた人たちが戻ってきて、会場は40人前後に膨れ上がり、活気も感じられるようになった。広場の中心には大きな花壇があって、菜の花やパンジー水仙など多くの花が咲き誇っている。その花たちを目にしながら体を動かすのは気分が爽快だ。

 体操の前には近くの調整池を歩いて、朝の空気を十分に吸い込む。いつの間にか、後方の森は木々の葉が出始め、新緑が朝日に輝いている。ここ2カ月ほど目にしなかった犬のゴールデンレトリーバーとも出会い、思い切り体に飛びつかれた。

 この犬は、昨年夏死んだわが家の飼い犬のhanaと同じ名前で、なぜか私になついていて、散歩の途中に出会うと必ず飛びついてくる。この犬種は人間が好きだといわれるが、わが家のhanaはどちらかというと人見知りで、ごく限った人にしか親密な態度はとらなかった。

 私に飛びついた犬は、飼い主の都合で散歩時間が以前と違っていたようで、私にじゃれついた後、足取りも軽く去って行った。

 作家・俳人・翻訳家という3つの顔を持つ倉阪鬼一郎が「元気が出る俳句」(幻冬舎新書)という本を出した。蕪村から現代までの句の中から、心に響き元気が出る句を12に分類(元気が出る食べ物や飲み物、子供たちから力をもらう、元気が出る動物など、心が洗われる風景、ほっこりしたあたたかいきぶんになれる、多幸感に浸れる、体の芯から力がわいてくる、根源的な力を宿せる、奇想や認識のショックで元気が出る、人生を応援し、励ましてくれる、人生の道を歩む背中にそっと風をおくってくれる、暗い気分を浄化してくれる)し、紹介している。

 たしかに、心身ともに疲れた時に頁をめくったら元気になりそうだ。その中から、現在の私の心境に近い数首を選んでみた。

 樹々の若葉の光り揺れだすメヌエット 加藤知世子(1909-1986)の句である。知世子の夫は人間探求派と言われた俳人加藤楸邨(かとう・しゅうそん)だ。けさ散歩コースで見た調整池の森の風景そのものだ。

 生かされて生きて今あり豆の飯 ハンセン病を患い、長い療養生活の傍ら句作を続けている村越化石さん(1922-  )「の句。生きるということの重みを感じさせる名句である。

 満開の花のことばは風が言ふ 林翔(1914-2009)の句。倉坂は「世界は言葉でできているという世界観があるが、まさにそのような光景。満開の桜の花びらが風に吹かれてざわめいています。そのさまを『花の言葉は風が言ふ』ととらえることによって、世界はさざめく言葉で満たされていきます」と解説している。

 写真 1、新緑が輝く森 2、小さな池のほとりにも桜の花がある 3、ラジオ体操会場にある花壇 4、咲き始めた海棠の花

画像
 
画像
 
画像