小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1719 痛ましい駅伝選手 這ってでものタスキリレー

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 10月21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、中継地点目前で倒れた岩谷産業の2区、飯田怜が約200~300メートルを這いながら進んだ。飯田は右足を骨折し、両ひざからは血が流れていた。繰り返しこのシーンがテレビで放映されている。痛ましい限りである。このところスポーツ界をめぐる暗い話題が尽きない。スポーツとは何なんだろうと思う。  

 かつて早稲田大学で瀬古俊彦という名ランナーを育てた中村清監督は、厳しい指導で知られた。自身も早大箱根駅伝に出場した作家の黒木亮は『冬の喝采』(講談社文庫)という自伝的小説の中で、中村の激しさを書いている。中継地点近くになってラストスパートしている主人公の金山(黒木の本名)に対し、「根性あるのか!」「死んでしまえ!」「おらおらおらーっ!」と罵詈雑言を吐く。もちろん選手の力を引き出そうとする思いから出た言葉である。  

 卒業する金山らに対しての中村のあいさつで、レースでの罵詈雑言は愛の鞭だったことが分かる。「競走部を強くし、諸君を臙脂(同大学のスクールカラー)のユニフォームに恥じない選手のためにするためではあったが、中村の至らなさで、ご迷惑をかけたかもわかりません。しかし、『若い頃に流さなかなった汗は、年老いてから涙となって流れる』とも申します……」  

 現代では中村の指導法はパワハラと受け止められるかもしれない。体操女子選手のパワハラ問題で、コーチから体罰を受けた選手が「コーチを信頼している。引き続き指導を受けたい」と記者会見で話しているのを見て、スポーツ界には漫画『巨人の星』の「根性物語」が生き続けているのだと思ったものだ。それが今回の駅伝で繰り返されたといえる。這って中継点まで進んだ飯田選手に対し監督からの棄権の連絡が届くのが遅れたというのだが、選手の後ろに付いてた審判は心穏やかではなかったはずだ。  

 ソウル五輪の男子マラソン選考をめぐって、一発選考とされた1987年12月の福岡国際マラソン。優勝した中山竹通がこのマラソンを欠場した瀬古俊彦に対し「自分なら這ってでも出ますけどねえ」と、辛辣なコメントをしたことを覚えている。(日本陸連は伸び盛りの瀬古に配慮、この後のびわ湖マラソンの結果を見るという判断を示し、瀬古は平凡な記録で優勝、中山とともにソウル五輪に出場した)それだけスポーツ選手は競技に対し情熱を傾けているといえる。飯田の姿はその一例なのだろう。  

 まして駅伝は団体競技だから個人競技に比べると責任は重い。選手の精神的重圧は大きく、棄権をするという選択肢は持てないのかもしれない。だが、これによって飯田の選手生命に影響があったら取り返しがつかないし、今後の競技生活には這いながら進んだこのレースが良くも悪くも付きまとうかもしれない。駅伝の詳しいルールは知らない。あえて言えば、こうしたケースでは、監督の判断以前に審判が棄権をさせるというルールがあっていいのではないかと思うのは素人考えだろうか。いずれにしろ、一人が途中棄権しても何らかのペナルティを与え、チームはレースを続けることができるなどのルール改正が必要なのかもしれない。

 

759 「若くして流さぬ汗は、年老いて涙となる」 箱根駅伝に出た作家・黒木亮