小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1820 繰り返すドーハの悲劇 過酷!深夜の世界陸上

IMG_0452.jpg

ドーハの悲劇」は、1993年10月28日、中東カタールの首都ドーハで開催されたサッカーW杯アジア地区最終予選最終節の試合で、イラク代表と戦っていた日本代表がロスタイムに同点ゴールを入れられ、W杯初出場を逃したことを指す言葉である。現在、同じドーハで開催中の世界陸上の競技をテレビで見ながら、この言葉が蘇ってしまった。スポーツ関係者は、ともすれば「アスリートファースト」(選手が最高の力を発揮するため、環境を整えること)というが、深夜にスタートするマラソン競歩選手たちの苦しい表情を見ていると、その言葉は嘘としか思えない。  

 既に実施された女子マラソン(現地時間9月27日)、男女の50キロ競歩(同28日)、女子20キロ競歩(同30日)は現地時間の真夜中(午後11時半、あるいは午後11時59分)のスタートという異常な時間設定だった。日中は40度を超えるという気温のため、異例の深夜時間の実施になったという。それでも女子マラソンのスタート時間の気温は32・7度、湿度73・3%という過酷な環境になった。競歩もほぼ似た条件だった。この結果、女子マラソンは出場した68人中28人が途中棄権し、完走率は過去最低の58・8%という不名誉な記録になった。46人が出た男子50キロ競歩鈴木雄介選手が4時間4分20秒で優勝)は18人が棄権、こちらも完歩率は60・8%にとどまった。  

 選手やコーチからは「これまで出場したレースで一番過酷だった」「昼間にやっていたら、死人が出たかもしれない。2度とこういうレースを走らせたくない」「アスリートに敬意がない。多くのお偉方がここ(ドーハ)でやることを決めたのだろうが、彼らはおそらく今、涼しい場所で寝ているんだろう」「非人道的環境だった」などという声が出たと報道されている。今後、男子20キロ競歩と男子マラソンが予定されているが、深夜に厳しい戦いを強いられる選手たちは、気の毒としか言いようがない。深夜のマラソン競歩には選手の苦しい表情が印象に残り、恩田陸の『夜のピクニック』(高校の全校生徒が夜を徹して80キロを歩き通す青春小説)に描かれた高校生のような清々しさはない。  

 来年7月~8月には東京五輪が開催される。このブログですでに書いている通り、真夏の東京は尋常な暑さではない。マラソン競歩は早朝のスタートというが、今回のドーハと条件はあまり変わらない。五輪憲章には有名な「より速く、より高く、より強く」という言葉がある。しかし、どう見ても東京五輪のマラソン競歩は「より速く」を達成することはできないだろう。それでも関係者は、「過酷な条件に挑戦するのもスポーツ」などと言い切るのだろうか。  

 人間は日の出とともに起き、日暮れとともに眠るのが自然の姿であることは言うまでもない。それが生活のリズムになっている。深夜の労働や、今回のような深夜の競技は、こうした人間生活のリズムを外れるから体にいいことはない。東京五輪は結局、「より速く」は最初から捨てているといわれても仕方がないだろう。早朝スタートとはいえ、選手たちはその何時間前の真夜中には起きていなければならない。ここには「アスリートファースト」の精神はない。ドーハの悲劇が、東京へと続くことがないよう願うばかりである。

 追記 国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、来年の東京五輪の男女マラソン競歩について、暑さ対策として会場を東京から札幌に移して実施する計画を発表した。東京より札幌の方が涼しく、やりやすいことは当然だ。しかし、実施1年を切ってからの変更発表に渋る声もあり、即決定とは行かないだろう。この時期開催の元凶は、最大のスポンサーである米テレビ局の言うまま(バスケットボールなど欧米の人気スポーツが手薄な時期に五輪を放送したい)になっているIOCの姿勢である。  

関連ブログ  

1688 観測史上最高の「激暑」 心配な東京五輪  

1386 曲がり角の商業五輪 記録的猛暑の中で考える  

1202 幻のオリンピック物語 2020東京大会は成功するのか