小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1984 誰にもある潜在力 スポーツの爽やかさを感じさせた鈴木選手

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 人間には潜在力があるに違いない。最後の大会になったびわ湖毎日マラソンで優勝した鈴木健吾選手の激走を見て、それを確信した。信じられないほどの後半のハイペースで、これまでの日本記録を塗り替え、しかも2時間5分台を切る2時間4分56秒という日本人選手として夢の記録を達成した。コロナ禍で沈んでいる私たちに、鈴木選手は大きな力を与えてくれた。    

  これまでマラソンのテレビ中継は飽きるほど見ている。一般的には30キロを過ぎると、次第にペースは落ちてくる。だが、鈴木選手は1キロ3分以内という驚異的な走りを見せ、大迫傑選手が持っていた日本記録の2時間5分29秒を、33秒もあっさりと更新してしまった。鈴木選手のコンデションは良好。風もほとんど吹かず、気温も高くならないなど、マラソンには絶好の日和。そんな環境を見事に生かした。鈴木選手の走りは疲れや悲壮感は全くなかった。ただ、ゴールに向かってひた走る姿は美しい。  

  そんな鈴木選手の走る姿をテレビで見ながら、太宰治の名著『走れメロス』のことが頭に浮かんだ。このブログでも、何度か書いているので、繰り返さない。それでも一言だけ書くと、メロスが親友との約束を守ったように鈴木選手もだれかとの約束を守ろうと走り続けたのではないか、と私は勝手に想像した。  

  私は中学、高校(途中まで)で陸上競技をやった。力不足と思う前に自分に負け、挫折した。とはいえ、スポーツで味わった爽快さは今も忘れない。中学時代、何も分からないまま大きな大会の予選会で中距離を走ったら、たまたまいい記録が出て本大会に出ることになった。しかし結果は惨敗だった。指導の先生から教えられたペース配分を忘れ、最初からぶっ飛ばし、後半でペースダウンしてしまった。高校でも跳躍競技や中・長距離をやった。しかし中途半端なまま、いつしか陸上競技から足を洗った。    

  そんな過去なのに、テレビでマラソンの中継があれば必ず見てしまう。そして、鈴木選手のような激走に私自身も爽快さを味わうのだ。最初に潜在力のことを書いた。潜在は「表面に現れず、ひそみ隠れていること」(広辞苑)という意味だが、それに「力」が加わると、鈴木選手のような走りになる。若人には、そんな潜在力がある。それを信じてコロナ禍を抜け出す原動力になってほしいと願うばかりだ。

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 写真 1、雪解けの山形。鳥海山が見える(私の友人、Iさん撮影)2、琵琶湖マラソン日本新記録で優勝した鈴木選手 3、満月の夜明け

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