小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1595 リハビリと読書 秋雨はさびしい

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 既に書いたように、足のけがで1カ月近く入院した。その間、やることと言えば、一日3回(土日は2回)のリハビリと3度の食事ぐらいだから、消灯(午後9時)までに時間はかなりある。テレビは、ニュースもワイドショーも、希望の党と小池氏のことに集中していて、見るのもあきた。結局、本を読んで時間を送った。けがをしたのはつらいことだったが、病院での生活は知的楽しみの時間でもあった。  

 前回取り上げた大佛次郎の『パリ燃ゆ』(朝日新聞)は、いつか読もうと思いつつ、長い年月本棚奥に眠っていた長編だった。こうした機会がなければ読み終えることがなかったかもしれない。次に遠藤周作関係を家族から持ってきてもらい『王妃マリー・アントワネット」(新潮文庫、上下)、『イエスの生涯』(新潮文庫)、『王国への道 山田長政新潮文庫)の4冊を読み、さらに以下の本を読み終えた。 松岡圭祐『八月十五日に吹く風』(講談社文庫)、ディケンズ『大いなる遺産』(新潮文庫、上下)、藤沢周平藤沢周平句集』(文春文庫)、小坂井澄『人間の分際 神父・岩下壮一』(聖母文庫)―である。  

 遠藤周作ディケンズについてはいまさら触れる必要はないだろう。松岡の作品は、太平洋戦争当時、アリューシャン列島キスカ島に進駐した日本軍兵士、5000人を玉砕させずに撤退させたという事実に基づいた物語である。当時粗末にされたはずの命が尊重された稀有な例なのだ。松岡といえば、ミステリーシリーズで知られた作家で、私はほかの作品は読んだことはない。  

 岩下壮一については、カトリック関係者の間ではよく知られた存在なのだろう。しかし私は、この本を読むまで岩下がかつてのライ(ハンセン病)療養施設、神山復生病院(静岡県御殿場市)の院長として、ハンセン病患者の福祉に尽力したことを知らなかった。岩下は全生病院院長で、ライ患者の隔離と子孫絶滅(断種)を主張した医学者光田健輔の考え方を受け入れなかったこともこの本には書いてある。  

 藤沢周平といえば、多くの時代小説の名作で知られる作家だ。一方で長塚節(『白き瓶』)と小林一茶(『一茶』)の伝記小説も書いていて、俳句や短歌の世界にも造詣が深かったことがうかがえる。今回の句集には100余の句が収められている。藤沢は肺結核療養のため入院していた療養所で俳句を始めたという。だから、この句集には、病気を患う青年の思いも読み取れる「桐の花踏み葬列が通るなり」という句もある。

 夕焼けを撮影中に転倒してけがをした私には「夕焼けの褐せしあと立つ雲のあり」という句に惹かれた。藤沢のこの本には、短いエッセーも収録されている。『晩秋の光景』と題した作品のうち「秋雨前線」というエッセーの最後は「秋雨はさびしいだけである」という言葉で結ばれている。

 たしかに、病床から眺めた秋雨はさびしかった。その思いを多くの患者が持っていることだろう。  

 

 写真 ハートの形をしているため「ハートアイランド」といわれる沖縄・黒島(竹富町)の港から。放牧地が多く、牛の島ともいわれるという。