1569 目に優しい花菖蒲 一茶を思う一日
むらさきも濃し白も濃し花菖蒲 京極杜藻
うつむくは一花もあらず花菖蒲 長谷川秋子
近所の自然公園にある湿地で花菖蒲が見事に咲いた。その花は前掲の俳句の通り色はあくまで濃く、どの花も下を向いてはいない。歳時記によると、原種は野花菖蒲で江戸時代初期に改良された国産の園芸種だという。梅雨の晴れ間の陽光を浴びながら咲き続ける国産の花は、目に優しい。
生涯で2万を超える俳句をつくった江戸時代の俳諧師、小林一茶は花菖蒲やあやめを季題にした9句を残している。(以下はそのうちの3句)
足首の埃たゝいて花さうぶ (あしくびの ほこりたたいて はなしょうぶ)
うしろ日のいら ~ しさよ花あやめ (うしろびの いらいらしさよ はなあやめ)
見るうちに日のさしにけり花せふぶ(みるうちに ひのさしにけり はなしょうぶ)
藤沢周平は『一茶』(文春文庫)の中で一茶の句について「一度一茶の句を読むと、そのなかの何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。(中略)それはなぜかといえば、一茶はわれわれにもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだと思う」と感想を記し、さらに「誤解をまねく言い方かもしれないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句をつくっている。形も平明で、中身も平明である」とも述べている。
そして、この人物像を「難解さや典雅な気取りとは無縁の、われわれの本音や私生活にごく近似した生活や感情を作品に示した俳人」と表現している。一茶は、庶民の哀歓を俳句に込めたのである。それは「田舎俳諧師」として貧しい生活を送った一茶だったからこその句といえようか。藤沢によれば、一茶は拗ね者の俳人だったのだ。
明治になり正岡子規によって光が当てられ、俳句の世界では松尾芭蕉、与謝蕪村とともに傑出した人物として知られることになるとは一茶自身、想像もしていなかったはずである。人間の歴史には、そんな不思議さが伴う。一強といわれ、忖度(そんたく)政治を現出している安倍政権の場合も、この先どうなるのかは分からない。それは神のみぞ知ることなのかもしれない。
(読売新聞社会部には、本田のような気骨ある記者もいた。しかし、今はどうか。新聞の役割を失ったとみられてもいい紙面に、OBたちはどう思うのだろう)