小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1715 くろがねの秋の風鈴 瀟殺(しょうさつ)とした音色を聞く

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 作家の故藤沢周平は、人口に膾炙(かいしゃ)する=世の人々の評判になって知れ渡ること=俳句の一つとして飯田蛇笏(1885~1962)の句を挙げている。「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」である。

 夏が終わり、秋になっても軒に吊るしたままの鉄の風鈴が風に吹かれて鳴っている。夏の風鈴よりも深みがある音は、秋の訪れを感じさせる―というような意味だろうか。藤沢は秋になっても隣家から聞こえる風鈴の音を聞いて、蛇笏の句を思ったそうだ。

 だが、昨今は風鈴を仕舞い忘れると、「風情を感じるのはあなただけで騒音ですよ」と苦情が出る恐れがあるから、難しい世の中だ。  

 藤沢が隣家の風鈴を聞いたのは新しい家に転居した直後のことで、それから10年ほどが過ぎると風鈴は聞こえなくなったという。藤沢は「10年といえば、どのような理由であれ、ひとつの風鈴が鳴らなくなるのに十分な歳月であるように思われる」(随筆「心に残る秀句」より)と書いている。

 確かにそうだろう。藤沢は、隣家から聞こえる秋の風鈴を「瀟殺(しょうさつ)とした音いろに聞こえた」と表現し、この音色を聞いて蛇笏の句を思ったのだという。「瀟殺」とは、もの寂しいさま、秋の終わりの景色などを指す言葉である。  

 例外といっていいかもしれないが、私の部屋の窓際の風鈴は10年以上吊るしたままである。軒下ではないから傷んでもいないので、その音色を聞くことは可能である。試しに揺らしてみると、透明感が漂う高音がする。

 この風鈴は「くろがねの風鈴」といってよく、材料は香川県の磬石(けいせき=学名サヌカイト)だそうだ。サヌカイトは1891年、ドイツの地質学者ヴァインシエンク(ワインセンクとも)が香川県国分寺町国府台などに産する鉱物に名付けたもので、讃岐の岩という意味だ。金槌でたたくと金属音が出るため、古くから鐘に利用され、風鈴にも使われている。  

 私の部屋の風鈴はずうっとカーテンレールに吊るしているため、ほとんど風に揺れることはない。だから秋の風鈴という蛇笏の句の風情を味わうことはできない。ただ、時々手で揺らすと透明感があってトライアングルを思わせる音が出る。批評家から「トライアングル協奏曲」と揶揄されたリストのピアノ協奏曲第1番(3楽章でトライアングルが使われることで知られる)に、この風鈴を使ったら、結構なじむかもしれないと思ったりする。

 散歩コースの調整池周辺では恒例のようにセイダカアワダチソウの黄色い花が咲き、とても大きなじゅうたんのように見える。本格的秋の到来だ。そういえば、10月3日は蛇笏忌だった。

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