小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1574 宇良の涙 小さな大力士の道へ

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 大相撲で小さい体の前頭4枚目、宇良が横綱日馬富士に勝った。テレビのインタビューで涙を流した宇良を見て、誰しも「よくやった」と思ったに違いない。つい数年前(大学2年生当時)60数キロしかなかった宇良が横綱に勝った事実は、人には不可能がないことを教えてくれる。  

 宇良は大阪府出身だ。父親が沖縄県国頭村の出身であり、沖縄にはこの名字が珍しくないという。宇良は沖縄の血受け継いでいるのだろう。手元に2冊の本がある。森岡浩「名字の謎」(新潮OH!文庫)によると、沖縄の名字はほとんどが地名に由来するという。沖縄県には「国頭郡国頭村宇良」という地名があるから、宇良は沖縄と縁が深い名前なのである。  

 宇良はNHKテレビの「とったり、という技を掛けましたが」というインタビュー対し、涙を流しながら「夢中だったので覚えていない」と話した。懸命な戦いの中で必死に技を掛け、それが見事に勝利につながったといえよう。  

 相撲は格闘技である。格闘技のスポーツの多くはボクシングやレスリングのよう体重別で戦うルールになっている。相撲はそれを採用せず大きな力士と小さな力士が戦うから、「小よく大を制す」、あるいは「柔よく剛を制す」という醍醐味を見せてくれるのだ。相撲とともにかつてこの言葉がよく使われた柔道は、体重別競技となり、相撲だけが伝統を守っている。  

 現在の角界は大きな体が珍しくない。宇良は身長が173センチとはいえ、体重が137キロもあるから、一般人に比べたら巨漢といえる。だが、角界では小さい方で、体重が大学生の時から倍になったとはいえ「小兵」という昔ながらの言葉が当てはまる。大型力士との戦いはけがをする不安が付きまとうが、柔軟な体を生かして乗り切っている。  

 大相撲名古屋場所は「力士とけが」という問題がクローズアップする場所になった。横綱稀勢の里鶴竜大関照の富士、幕内の人気力士遠藤がそれぞれけがで途中休場してしまった。宇良はけがと無縁の土俵を送り、「小さな大力士」の道を歩むことができるのだろうか。