小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1460 なぜ日本は原発大国になったのか 『原子力政策研究会100時間の極秘音源』

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原子力政策研究会100時間の極秘音源―メルトダウンへの道―』(新潮文庫)という題名からは、やや難解な原子力に関する本であることを想像させる。

 だが、そうではない。戦後の原子力開発=原発の導入、原発をめぐる安全神話の醸成という問題の真相に迫った、質の高いドキュメントなのである。東京電力福島第一原発の事故後、原発の再稼働が相次ぐ中、原発は日本人にとってどのような問題をはらんでいるのか、その具体的手がかりを示してくれる本といっていい。

 この本は、NHKETV(教育テレビ)の特集取材斑3人が分担執筆した。福島事故後、取材を始めた特集斑の1人が、いわゆる原子力ムラといわれる原発推進の立場の人たちが集まって原子力政策について語り合った「島村原子力政策研究会」の100時間を超える録音テープ(1985年から9年間分)を入手し、それを基に多くの関係者に取材を進める。その結果、日本の原発導入の歴史が浮き彫りになる。

 以下、その経過を少したどると―。

 日本の原子力開発は政治家の主導で進められる。その中心を担ったのは後に首相になる中曽根康弘(当初、改進党、現在は自民党)であり、齋藤憲三(改進党)らとともに、1954年3月の国会で強引に2億6000万円の原子炉建造のための予算を通している。中曽根らの動きに呼応したのが読売新聞社主・衆院議員の正力松太郎で、1956年に設立した原子力委員会の初代委員長に就任、原発導入を独断で決める。原子力担当大臣として茨城県東海村に原研(現在の日本原子力研究開発機構)の設置を決め、イギリス製の初の商業原子炉を導入したのも正力だった。これに対しノーベル賞受賞者湯川秀樹原子力導入に慎重な立場だったため、正力と対立し1年で原子力委員を辞任している。

 当時の科学者の間では原子力開発には慎重論が多かったが、逆に原発建設の流れの中に経済界が参入していく過程も明らかになる。財閥系企業が商売として原発に目を向ける一方で、電力会社は当初は原発導入に消極的だったことも描かれている。その後、電力会社も原発導入に積極的姿勢に転換、東京電力福島県大熊町双葉町にまたがる90万坪の広大な敷地を西武グループから譲り受け、アメリカのGEと契約し福島第一原発を建設する。

  しかし、建設用地は実は海抜35メートルの台地であり、GEのタービン発電機はポンプで大量の海水をくみ上げて復水器で冷やす必要があるのに、このポンプにはこんな高さまで海水をくみ上げる能力はなく、10メートルが限度だった。東電とGEの契約は「ターン・キー契約」という設計から試験運転までGEが全責任を持つというものだが、追加の要求を出せば、巨額の追加費用を要求されるという裏があった。このため、東電はこうしたコストを抑えるため35メートルの台地を海抜10メートルまで掘り下げたのだという。それが東日本大震災の巨大津波によって全電源喪失という事態となり、メルトダウンを発生させる要因になったことはいうまでもない。

 この本は、以上のような日本の原子力開発の経緯を描いた第Ⅰ部、安全神話はどのようにして生まれたかを探った第Ⅱ部、増え続けるプルトニウムの処理などをめぐる核燃料サイクルを扱った第Ⅲ部で構成されている。第Ⅱ部を読めば、伊方原発をめぐる19年にわたる訴訟、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ事故で提起された問題点が生かされなかったことに気が付くし、第Ⅲ部では、一度決めた方針は変えない「プロジェクト不滅の法則」的な体質から抜け出せずに迷走する日本の原子力政策の実態が浮かび上がってくる。

 原発問題を考えるうえで、大事なことは謙虚さだと思う。私たちは原子力という途方もないエネルギーを本当に制御できるのだろうか。この本を読んでそんなことを考えた。研究会のメンバーの一人は、取材班に対し『原子力関係者の一人として今回のような全電源喪失や燃料溶融を起こさないための再発防止対策を、いま日本にあるすべての原発で徹底してやるべきだ。そのうえで今後も原子力をやっていくかという判断は、国民に任せるべきだ。首相や原子力関係者が判断すべきでない。ましてや原子力をどんどんやれなんていうのは無謀。そのうえで、それでも国民に安心してもらえないなら、もう原子力はやめるべきだ』(要旨)と語っている。これが大事な姿勢だろう。

 大津地裁は9日、関西電力の高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、住民29人が求めた差し止め請求の仮処分申請に対し、「過酷事故対策などに危惧すべき点があるのに、安全性の確保について関電は主張や証明を尽くしていない」として、運転差し止めの仮処分決定を出した。この決定について 関西経済連合会の首脳が激しい言葉で批判したという記事を読んだ。「憤りを超えて怒りを覚える。一地裁の裁判官によって、なぜ国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか。こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」(角和夫副会長・阪急電鉄会長)。財界人は安全よりコストを優先し、そのためには三権分立など認めないという意識の発言からは、謙虚さなど微塵も感じられないのである。

 執筆メンバーの一人は、本の中で次のように書く。胸に突き刺さる言葉である。

 「もし、再び深刻な自然災害が原発を襲ったらどうなるか。また百歩譲って自然災害に見舞われることがなかったとしても、これからの日本は、国内に抱える50基の原発が次々に廃炉を迎える中で、莫大な量の高レベル放射性廃棄物を抱え込むこととなる。私たちはいま、そのような時代が、もはや遠い将来ではない中を生きている」

  現在、NHKの報道には政権寄りという批判が根強い。中でもニュース(特に政治分野)からは報道機関の大きな役割である批判精神を感じることは皆無に近い。だが、現場にはこの本の執筆者たちのような優れた制作者が存在することに安堵したことを記しておきたい。

  写真は原発事故の被災地、飯舘村の中心部