小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

959 偉大な米大統領・急死の真相 歴史の襞に埋もれた事実を掘り起こした記者魂

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 米国大統領として4選を果たしたのは32代のフランクリン・ルーズベルト(1882~1945。本書はローズベルトと表記)のみで、彼はいまも偉大な大統領として、米国の歴史に名を残している。

 ルーズベルトが静養先の山荘で脳出血のため急死したのは、第2次大戦末期に近い1945年4月12日だった。67年前のことである。 『アメリカ大統領が死んだ日』(岩波現代文庫)で、著者の仲晃は「実質的な戦後はルーズベルトが急死し、副大統領のトルーマンが昇格したこの時点から始まっている」と説く。

 多くの資料を駆使してカリスマ政治家の最後の日々を再現したこの本からは、歴史の真実に迫ろうとするジャーナリストの記者魂を感じる。 米国の政治家として傑出した力を発揮したルーズベルトは、車いすを使う障害者としても知られている。エリノア夫人との間に6人の子どもを持ったルーズベルトだが、急死した現場には夫人の姿はなく、元秘書で恋人といわれたルーシー・マーサー(ラザファード夫人)がいたという。

 イタリア、ドイツ戦線で勝利が間近になり、日本も敗色が濃厚になったとはいえ、大きな戦争のさなかに大統領が静養できる国が米国だった。そんな余裕のある国の終戦にまつわる本は、専門書も読み物もほとんどないのが実情だという。

 著者は共同通信社の外信部記者、論説委員桜美林大学教授時代を通じて米国問題をライフワークとした。中でも太平洋戦争の終戦に関して関心を持ち続け、その一環として米国の終戦のシナリオを検証してきたという。そうした過程で考えたのは、第2次大戦終戦を取り仕切るはずだったルーズベルトの急死により、慌ただしく後継者になったトルーマンの手によって、不幸にも軍事的にねじ曲げられる形で終戦を迎えたということだった。

 仲はこの本の前の『黙殺』(NHKブックス)で、トルーマンがなぜ日本への原爆投下を許可したかを解き明かし、今度は現職大統領の急死をテーマに、米国の終戦時の歴史を詳細にひもとくことに成功した。硬派に属する本なのだが、大統領と元秘書との恋物語も含めて、これまであまり知られていなかったルーズベルトの私生活にも触れていて、ストーリー性豊かな小説を読んでいるような印象を持った。

 ルーズベルトは、日本軍の真珠湾奇襲に始まる太平洋戦争で、「Remember Pearl Harbor」(リメンバー・パールハーバー)と呼びかけ、米国民の戦意を高揚させ、連合国側のリーダーとして第2次大戦のかじ取り役を果たす。しかし、絶大な政治力を持っていたため、副大統領のトルーマンには原爆開発のマンハッタン計画をはじめ米、英、ソ3カ国首脳が大戦後の国際秩序に関して話し合い、戦後の冷戦を生んだといわれるヤルタ協定の内容など、重要な事項は何ひとつ伝えていなかった。

 ルーズベルトの怠慢だったという仲の指摘は正しく、きちんとした引き継ぎが行われなかったがゆえに、原爆投下など戦争の悲劇が拡大してしまったといっていい。 いきなり大統領になったトルーマンの当時の気持ちを示したエピーソードが記されている。抜き打ちで議会に行き、上下両院の議員たちと昼食会をしたトルーマンはその足でホワイトハウスの記者室訪れ、記者たちにこんなことを話した。

「皆さんは、頭上に山のような干し草の束が落ちてきた経験がおありかどうか。今の私がそれなのだ。昨日、何が起きたのかを告げられた時、まるで私の頭上に月と星、それにあれやこれやの惑星が、ドカンと降ってきた思いだった。1人の人間の上に降りかかってきたものとしては、これ以上にないという、とてつもない責任なのさ」

 トルーマンの当惑ぶりが目に見えるようだ。日本の鈴木貫太郎首相が敵側リーダーであるルーズベルトの死に対し「深甚なる弔意」を表明したのに対し、ドイツのヒトラーは「史上最大の戦争犯罪人であるルーズベルトを運命が地上から取り除いた。この時点で戦争は決定的な転機を迎えることになろう」という独善的な声明を出したという。

 この本は相反する声明が出た背景にも踏み込み、大戦末期の戦争当事国の歴史を掘り起こした。家庭内離婚状態にあった夫人との政治面での二人三脚ぶり、急死の現場にいたルーシーとの関係など、偉大な権力者の人間的な側面に光を当てたジャーナリスト感覚はさすがである。

 歴史の勉強が苦手だという若者が少なくない。そうした若者に、歴史の襞に埋もれた事実を掘り起こした本書を薦めたいと思う。この本を読めば、嫌いだった歴史の勉強が少しは好きになるはずだ。