「人類が開発した最も恐ろしい兵器――原子の分裂という宇宙の根源的な力によって徹底的な破壊をもたらす原子爆弾――が今日、その凄まじさで日本を驚愕させ、そしてそれがもたらす戦争と平和への潜在的可能性を示し、世界の他の地域をも驚愕させた」
これは、広島への原爆投下を報じた1945年8月7日のワシントン発AP(米国の国際通信社)電である。原爆投下から一日遅れの報道だった。「驚愕」という言葉が2回も入っている。それほどにAPの記者たちにとっても、米国の第33代大統領、トルーマンの命令による人類に対する初めての原爆投下は信じられない現実だったのだろう。
あれから間もなく71年。トルーマンから11人目のオバマ大統領が、きょう広島を訪れた。2人とも同じ民主党所属の大統領であることに何やら因縁を感じる。
広島、長崎への原爆投下について、米国の通信社、APの報道の歴史を記した『ブレーキングニュース 日本語版』(新聞通信調査会)には短い記述がある。
《2つに分かれていたAPの太平洋戦線取材陣――ホノルル支局のマーリン・スペンサーが太平洋中部での取材、そしてC・イエーツ・マクダニエルがオーストラリアから取材を指揮していた――は日本の敗北が不可避となってきた頃、1つに統合された。そして、米軍のB-29爆撃機が原爆を投下し、8月6日に広島を、そしてその3日後に長崎を破壊した。太平洋戦線では厳しい検閲が敷かれていたため、ニュースはワシントンから発信され、担当記者たちがその出来事の非道さとそれが暗示するものを伝えようと苦心して言葉を選んだ》
それが冒頭の第一報だったのだ。71年前にAPの記者たちは原爆という大量破壊兵器を「人類が開発した最も恐ろしい兵器」と記していた。だが、トルーマンによって開けられたパンドラの箱から飛び出した恐ろしい兵器は、その後世界に拡散し多くの国が核兵器を所有しているのが現実だ。
オバマ大統領は、プラハ演説でこうした戦後の国際社会の在り方を振り返りったうえで核兵器廃絶を訴え、ノーベル平和賞を受賞した。だが、オバマ演説は優れていても実行力が伴わず、核廃絶の道のりは極めて険しいと言わざるを得ない。きょうの17分の広島でのあいさつもオバマらしい誠実さと格調の高さは感じられたが、世界に向かってのアピール度はどうだろうかと思った。
それでも、オバマ大統領が広島を訪れた意味は大きい。原爆資料館に足を踏み入れれば、人類が開発した最も恐ろしい兵器の非情なまでの威力を知ったに違いない。それを今後の活動に生かしてほしいと思う。人類の歴史は戦いの歴史といっていいだろう。21世紀の世界も依然きな臭さが漂っている。
そんな戦いの煙を消すためにも、アマゾンに伝わる「ハチドリの一しずく」(アマゾンの火事を消すため、小さなハチドリが自分のできることをやるという言い伝え)の精神が世界に広まってほしいと痛感する。
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