オバマ米国大統領が5月のG7伊勢志摩サミット参加時に、広島を訪問することを検討しているというニュースが流れた。訪問が実現すれば、現職の米国大統領としてはもちろん初めてである。
オバマ大統領は2009年チェコ・プラハで「核兵器なき世界」を訴える演説をしてその年ノーベル平和賞を受賞したが、核安全保障サミットを提唱したくらいでその理想は実現に程遠い。広島、長崎への原爆投下は空前絶後の人類に対する核兵器の使用だった。それに対し、米国からの公式謝罪はない。広島訪問が実現した場合、オバマ大統領は何を語るのだろう。
原爆投下をめぐっては、偉大な大統領といわれたルーズベルトの急死によって、副大統領から昇格して大統領になったトルーマンが一部の反対の声を押えて投下命令を出したのだが、米国内では「戦争終結を早め兵士の犠牲を最小限にとどめようとした」とする考えが主流を占め、人類に対し初めての核兵器使用に対する反省度は薄いように見える。
サミットに先立ち、G7外相会議が広島市で開催されている。きょう11日には、核保有国の外相(米国はケリー国務長官)たちが初めて平和公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。ことしで原爆投下から71年になる。長い歳月が過ぎたが、オバマ大統領の広島訪問は本当に実現するのだろうか。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」
1945年11月定められたに国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の憲章前文、冒頭の言葉である。20世紀は二次にわたる世界大戦を経験し、戦争の世紀といわれた。その反省の上に立ってユネスコ憲章が定められた。
しかし、21世紀になっても世界の現実は憲章の精神とはかけ離れた実態にある。 ユネスコ憲章前文を読んで、戦争を描いた3つの絵を思い出した。ピカソの「ゲルニカ」(スペイン・マドリード 、ソフィア王妃芸術センター)とシャガールの「戦争」(スイス・チューリヒ美術館展所蔵、国立新美術館特別展に展示)、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」(埼玉県東松山市、丸木美術館)である。
戦争が市民にもたらす悲劇がテーマであるこれらの作品は、人の心の中に平和のとりでを築かなければならないことを強く感じさせるのだ。
露土戦争(1877~88、ロシアとオスマントルコとの間の戦争)を体験したロシアの作家、フセーヴォロド・ガルシン(1855~88)は短編『赤い花 他4篇』(岩波文庫)の中でこんなことを書いている。折から、タックス・ヘイブン(租税回避地)を利用して世界の著名人が税金逃れをしていたことがパナマ文書で明らかにされた。格差社会である。それは資本主義が晩年を迎えているような印象を受ける。そしてガルシンの嘆きは、いまの世界にも当てはまる。
《おめえやおれの一生を台なしにしやがるのは、運勢なんてもんじゃねえ、人間どもなんだ。まったくこの世には、人間ほど強欲で性の悪い獣はねえよ。狼は共食いなんかしねえが、人間ときた日にゃ生身の人間をぼりぼり食うんだ。》
以下に関連ブログ
515 巨匠の国は落書き天国 スペイン・ポルトガルの旅(2)