小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

574 走れメロスと柏原 箱根駅伝の奇跡再び

画像 東京、箱根大学駅伝の往路で、東洋大学柏原竜二が5区の山登り区間(標高差864メートル)を昨年以上の速さで駆け抜け、母校に逆転優勝をもたらした。 トップの明大と4分26秒の差もあり、7位という位置からして逆転は難しいのではないかと思われた。テレビの解説で瀬古さんも「確率は半々」と話したほどだが、柏原は奇跡に近いような走りを再演して見せた。

 箱根の山をものともせず、歯を食いしばりながら走り続ける柏原の姿は、鬼気迫るものがあった。柏原の走りをテレビで見ていて太宰治の小説「走れメロス」を思い出した。 「走れメロス」は中学校の国語の教科書にあり、鮮明に覚えている。村の牧場で働いているメロスは妹と2人暮らし。

 間もなく結婚する妹のために町まで買い物に出かけたメロスは、人を信じられなくなった王様に捕まってしまう。 妹の結婚式のために親友を身代わりとしたメロスは王様に「絶対に戻る」と約束し、妹の結婚式に出席する。 その後でメロスは町へと引き返すが、大雨や山賊に出会い、半ばあきらめかける。

 しかし、最後の力を振り絞って、メロスは親友との約束を守る。2人の友情に感動した王様はメロスを釈放し、人間不信の心を払拭するのだ。 この作品については、正しいものへのあこがれを描いたという説や、正義をふりかざす人間への太宰の屈折(くっせつ)した思いが表現されたものだという見方もあるという。

 教科書で習った当時、私は正義と友情の大切さを感じ取った。 この作品の一節に「メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」とある。 これが柏原の走りではないかと思った。彼の走りは「快走」というよりも、何かを求めてひた走る「激走」といえる。ゴール近くで柏原は、苦しい表情を一転させ、笑顔を見せた。

 スポーツ選手のさわやかさを感じた。 走る喜びは何だろうか。走りきったあとの達成感なのだろうか。2月28日の第4回東京マラソンは、3万5000人(フルと10キロ合計)のランナーが走る予定だ。31万人が応募して8・9倍の競争率だった。参加費用を払い、寒い季節の中でもこれだけの「走りたい」という思いを抱いた人たちがいる。 箱根駅伝の柏原の激走は、次代の「走る人」をつくるに違いない。