小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

759 「若くして流さぬ汗は、年老いて涙となる」 箱根駅伝に出た作家・黒木亮

画像「ふるさとの雪の中をかいくぐるように 万花の春の野の香りの中をゆくように 早いピッチで小刻みに大地を踏んで 人見知りするような笑顔が少年をのこしている……」  

 昨日ときょうの2日間続いた「第87回箱根駅伝」で、早稲田が総合優勝した。復路の6区で高野が途中転倒しながら先行する東洋大の選手を抜いてトップに立ち、早稲田はそのままトップを譲らず、13年ぶりの優勝を飾った。2日間テレビ放送で選手たちの走りを見続けた。  

 正月の風物誌ともいえるこの駅伝には、経済ものを中心に書いている作家の黒木亮(本名金山雅之)も2回挑んでいる。『冬の喝采』(講談社文庫)は、2回の箱根駅伝を含めて走ることに青春の情熱を注いだ日々を描いた自伝的小説だ。

 黒木は北海道で生まれ、中学時代から陸上競技(中長距離)を始める。高校1年まで順調な競技生活を送るが、それ以後は足の故障で満足に走ることができない。早稲田に進学した後、2年生になって故障から回復、中村清監督のいる競技部に入り、3年生だった1979年には3区で箱根に出て、4年生の翌年には8区でたすきをかける。

 3年生の時にはマラソンや駅伝の解説に出ている伝説的名ランナーの瀬古利彦(同学年で競技部では1年先輩)からトップでたすきを受け、そのままトップを守った。(早稲田は総合4位、翌年は3位)

 冒頭の言葉は、2回目の箱根駅伝の後、競技部の納会で卒業する黒木にシナリオライターが色紙に書いてくれたそうだ。ことしもこの言葉のような、少年の表情をしたランナーたちが大勢いた。往路の5区山登りで苦悶の表情で3年連続トップに立った東洋の柏原からは人を寄せ付けない「孤高の精神」を感じたし、優勝した早稲田で6区の箱根下りに挑み、途中転倒しながら東洋を抜いてトップに立った高野、主力選手の故障でアンカーに起用され、追いすがる東洋を必死に振り払った中島の2人は、人生の苦悩を知ったような大人の表情をしていた。  

 しかし國學院大の10区に出場した長身の1年生の寺田は少年の顔立ちが残っていた。寺田はゴール寸前まで日体大青学大、城西大の選手たちと8位集団を走っていた。10位まで予選会に出る必要がないシード権争を与えられるので、みんな必死だった。ラスト300メートル付近で寺田が4人のトップに立った。

 ところが、先導車が右折したためそちらへとコースを間違えて彼も右折する。すぐに気付きてコースに戻ったものの4人の最後尾となっていた。懸命にスパートし城西の選手を抜き返してて何とか10位に滑り込んだ。見ていて優勝争いより、力が入った。これが11位だったら、彼の今後の競技人生に暗い影を投げかけたかもしれないと思った。  

 黒木は、作品の中で個性あふれる監督、中村清について詳細に書いている。よくも悪しくも彼の競技人生は中村なしには語れないのだろう。中村の「若くして流さぬ汗は、年老いて涙となる」「天才は有限、努力は無限」といった口癖も紹介されている。私の人生でも中村監督のような個性豊かな指導者に出会った。厳しい指導につらいこともあったが、今では感謝の気持ちでいっぱいだ。  

 黒木は箱根駅伝に出る選手たちのすさまじい練習ぶりにも触れている。それは想像を絶した練習なのだ。10位に滑り込んだ寺田の笑顔を見て、こうした練習を経て全力を尽くした若者の清々しさを感じた。