小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

402 語り継ぐべき個人の歴史 城戸久枝「あの戦争から遠く離れて」

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 かつて、中国残留日本人孤児問題にかかわった。多くの人たちと出会い、苦しみ、悲しみの表情に接した。一方で肉親と再会した喜びの顔にも何度も遭遇した。 39回目の大宅賞を受賞した城戸久枝の「あの戦争から遠く離れて」を読んで、個人の歴史とはいえ、激しい時代を生き抜いた人たちが私たちの周辺にいることを再認識させられた。戦争から遠く離れても、その激流にほんろうされた人たちが数多く存在することを忘れてはならないと、城戸は言いたいのだと思う。

 旧満州で戦前に生まれ、中国残留孤児になりながら、この問題がクローズアップされる前に日本に帰国することができた父親が生きてきた道を、娘である城戸久枝が丁寧に時間をかけて調べ、ノンフィクションの作品にしたのがこの本だ。

 城戸は、この本を書くために10年の歳月を費やした。 それだけにこの本は実に中味が濃く、戦争という荒波にほんろうされた1人の人間が、生きるうえで辛い時間を送らなければならなかったかを事実で突きつけてくる。 城戸の父、幹は旧ソ連の参戦で修羅場と化した旧満州・牡丹江で孤児になり、中国名孫玉福として中国人の養母に育てられる。優秀な彼は大学進学を目指すが、戸籍登録の際に「日本民族」と書いたためにその夢はかなわず、悶々とした日々を送り、いつしか日本への帰国を考える。

 あらゆる手立てを講じて、文化大革命さなかの1970年に帰国は実現する。そして結婚し、子どもも生まれる。城戸は次女として生まれ、いつしか父親の生きてきた歴史に強い関心を持ち、長春にも留学し中国語を学ぶ。 彼女が中国に留学したとき、父からの手紙には「車到山前必有路」という言葉が記してあったという。

「行き詰まっても必ず打開の道はある」という意味で、城戸は「進めば必ず道は開く」と解釈する。 「終わりのない絶望のなかでも、父は決してあきらめることなく、一筋の光を見いだした」と書いた城戸は、父親の人生を考える時、いつも「車到山前必有路」を頭に思い浮かべるという。 中国残留孤児に関しては、かつて井出孫六の「終わりなき旅」という名作があった。この問題に強い光を当てたノンフィクションだった。

 城戸の作品は、井出の本にひけをとらないと思う。最近、個人の歴史を記した本でこれほどまでに感動を受けことはない。 城戸は「戦争という本来世代を超えて語り継がれて然るべき大切なことが沈黙(風化)のなかで失われていき、弱者への想像力が希薄化していくこの時代。だからこそ私は、あの戦争に端を発する父の物語をもうひとつの戦後史として記録しておきたかった」とも書いている。そうした戦争の歴史や体験を風化させてはならないという城戸の思いが、どの頁からも感じ取ることができる。