小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

401 アルルの女「フェデリコの嘆き」 ある団塊の世代の生き方

生涯学習という言葉は、1980年代から使われ始めた官製用語らしい。本を読んだり、好きなことを習ったり、生涯やることは多い。別に役所から言われなくとも、多くの人が心がけていることだから、この言葉はあまり好きではない。余計なお世話なのである。

でも、自分の好きな道を年齢に関係なく追い求める姿は美しくて、好ましい。団塊の世代の知人はオペラを趣味にしている。何人かのグループでともにオペラを学んでいるらしい。知人を含むグループの発表会をのぞいた。

全27曲中、知人は2曲を独唱した。途中から席に着いた私が聴いたのは2曲目だった。伴奏はフルオーケストラではない。ピアノの伴奏で彼はフランチェスコ・チレーアが作曲したアルルの女の「フェデリコの嘆き」を歌った。アルルの女といえば、ビゼー組曲が有名だ。ともにドーデ「風車小屋便り」を原作としたオペラである。

アルルの女に恋をしたフェデリコの悲劇を歌ったものだが、知人はその悲劇を見事にテノールで表現した。「せめて私も眠ることができれば、この苦しみを忘れることができるのに・・・」

舞台に登場した知人は、初めのうちは緊張していた。しかし、歌ううちに緊張は解け、次第に顔も紅潮し、観客席に向けフェデリコの嘆きを送ってくる。美しい歌声だった。彼の歌が終わると、私の近くの男性2人が「ブラボー」という声を上げた。知人は、激務だったサラリーマン人生を少しだけ早く繰り上げ、ゆとりある生活を始めた。オペラの趣味もその一環のようだ。

出演者は大半が女性だった。アマチュアの発表会であり、中には声がうまく出せない人もいた。だが、次々に登場する姿からは、この日のために練習してきたのだという思いが伝わってきた。

友人、知人が何かを求めて自分の世界をつくろうとしている。アリアを学ぶ彼はその代表格だ。私といえば、先ごろ話をした人生の大先輩から「働くことを忘れてはならない」と忠告を受けたばかりだ。その忠告に従っているから、まだ自分の世界に入るには余裕がない。