中国残留孤児が訴えた国家賠償訴訟で、神戸地裁がきのう「自立支援を怠った」として、国の責任を認め4億6800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。当然といえば当然の判決だ。
それにしても、遅すぎるという感が否めない。
前回のブログで紹介した、「昭和史」(半藤一利)は冒頭部分で「昭和史の根底には、赤い夕陽の満州があった」と書いている。
どういうことか。日露戦争でロシアに勝った日本は、満州における権益を得、満州は日本本土を守る生命線と位置づけ、次第に満州に対する発言権を増していく。
そして、傀儡政権をつくり「満州国」を建国させる。これが昭和20年までの負の歴史を引っ張る大きな要因になったというのである。
満州には「王道楽土」の掛け声の下、多くの日本人が渡った。日本では食えない農民たちも含まれ、彼らは開拓民として満州各地に点在するのである。
そして、外相の松岡洋右がスターリンの思惑を知らずに(だまされたようなものだ)結んだ日ソ中立条約を一方的に破棄して、20年8月9日、ソ連が満州に攻め込む。
この結果、満州は大混乱に陥り、多くの残留孤児が発生する。山崎豊子さんの「大地の子」など、残留孤児の悲惨な実態を描いた書物は多い。
だが、政府の腰は重かった。残留孤児とは、昭和20年8月の終戦当時13歳未満だった人を言うが、政府が無策なままに年月はどんどん過ぎて行き、孤児たちも老齢化していった。
1972年9月、当時の田中首相の訪中で日中の国交が回復したにもかかわらず、孤児の身元を調べる訪日調査が始まったのは、9年後の81年だった。
当時厚生省詰めの記者をしていた私は、初めての訪日調査の取材を担当し、以後もこの問題を忘れることはなかった。確かに、厚生省のこの問題担当の援護局の現場は懸命に取り組んだことは間違いない。
しかし、孤児問題は身元の確認、帰国後の言葉の習得、自立のための支援、中国に残った養父母の生活支援と幅広く、いつも後手後手に回っていたと断言せざるを得ないのだ。
今回の判決で注目されるのは、北朝鮮の拉致被害者に対する自立支援策と比較して、貧弱だと批判している点だ。安倍内閣は、拉致問題解決を重要課題としている。
一方、過去に歴代内閣が中国孤児問題解決を内閣の重要課題にした例はない。いかにも軽く見られていたのだ。これは日本人の健忘症を示す一例といっていいのではないか。
孤児問題は、昭和史の負の遺産でもある。政府が果たすべき責任は大きいはずだ。