小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2070 ある晩秋の風景 日だまりを求めて

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 さうか

 これが秋なのか

 だれもゐない寺の庭に

 銀杏の葉は散ってゐる

     (草野天平「秋」・定本草天平全詩集より。天平は詩人草野心平の弟)

 晩秋。銀杏の葉も黄色く色づき、散り始めている。私のふるさとの浄土真宗の寺にも銀杏の木があった。秋になると、黄色い葉が境内を舞い、実が落ち始める。この詩のように、あの銀杏の木も秋の終わりを演出しているのだろうかと思う。

 寺を引き継いだ私の兄の同級生は別の地域で生活していて、仏事があれば車で通ってくる。現在、寺にはだれも住んでいないから、上掲の詩のモデルのような存在だ。もちろん、銀杏の実を拾う人もいないはずだ。…そんなことを思いながら久しぶりにシャンソン『枯葉』を聴いた。静かな秋の時間が過ぎていく。

 この曲は1946年公開の『夜の門』(Les Portes de la Nuit)という映画の挿入歌(ジョセフ・コスマ作曲、ジャック・プレヴェール作詞)で、当時新人歌手だったイヴ・モンタンが歌った。ビング・クロスビーナット・キング・コールが歌った英語版(「Autumn Leaves」ジョニー・マーサー作詞)もあり、ジャズの曲としても知られている。枯れ葉が舞う季節、人生の晩年を迎えた人物が美しく輝いていた幸せだった昔を思い出しているもので、人生の機微やペーソスをテーマにしたシャンソンの名曲として世界で歌い継がれている。

 シャンソンを生涯の友として歩んでいる友人がいる。彼の「枯葉」のピアノでの弾き語りを何度か聴いたことがある。彼の人生は平坦ではなかった。幾度か荒波にもまれたことがあったという。それがこの歌に深い陰影を与え、聞く者の心に響くのだ。誰にも輝く若い日があった。そして、いやおうなく年老いていく。『枯葉』を聴くと、そうした人生の哀感が伝わってくるのだ。晩秋の遊歩道。日差しを求めて散歩をしている人が少なくない。一人で黙々と歩いている人、友人同士や夫婦らしき人たちもいる。その道には枯れ葉が舞い落ちている。

 日だまりの枯葉いつとき芳しき 石橋秀野(俳句評論家の山本健吉の妻。戦時中の疎開生活で病に侵され1947年9月26日、38歳で死去。俳句では枯葉は冬の季語)

 私も日だまりの中、枯葉を踏みしめて歩いた。「カサコソ、シャリシャリ…」足元から聞こえてくる音が心地いい。

 

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写真

1、色づいたけやきの葉

2、遊歩道沿いにある銀杏も葉が落ち始めた

3、体操広場のマロニエはほとんど葉が落ちている