小径を行く

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時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2071 秋から冬への移行 時雨の季節感

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 ものの本(ある事柄に関することやその方面のことについて書かれた本)によりますと、「時雨」の季節は、『万葉集』(7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集)のころは秋と捉えられていたそうです。その後、都が奈良から京都に移ってから作られた『古今和歌集』(平安時代中期の勅撰和歌集)のころからは次第に冬という季節に考えられるようになり、俳句でも現在は冬の季語になっています。今年は7日が立冬でした。天気予報では今夜(8日)あたりから時雨が降りそうです。いよいよ冬なのですね。

《冬のはじめ、晴れていても急に雨雲が生じて、しばらく雨が降ったかと思うとすぐに止み、また降り出すということがある。これを時雨といい、本来は京都など、山がちの場所で見られる現象で、「北山時雨」「能登時雨」などとも使われていたが、しだいに都会でも冬の通り雨を時雨と呼ぶようになった。》(角川学芸出版『合本 俳句歳時記』)

 大岡信の『瑞穂の国うた』(新潮文庫)によれば、時雨が冬の季節になったことに大きな影響を及ぼしたのは、平安中期の勅撰集である『後撰集』(『古今集』の次にできた勅撰和歌集)に収められているよみ人しらずの次の歌なのだそうです。

《神無月降りみ降らずみ定めなき 時雨ぞ冬のはじめなりけり》

 この歌によって、時雨は冬という日本人の季節感が決まったと言ってもいいと、大岡は述べています。

《しぐれふるみちのくに大き佛あり》(『岩礁』より) 

 私の好きな句の一つです。作者は水原秋桜子(1892~1981)です。この句は1935(昭和10)年11月、福島県会津地方中央に位置する河沼郡湯川村にある真言宗豊山派勝常寺という寺を訪れた際に作られたそうです。この寺には薬師三尊像(薬師如来坐像、脇侍の日光菩薩立像・月光菩薩立像)という木製の国宝など、合わせて12体の仏像がある古刹です。時雨が舞う中、寺を訪れた秋桜子は本尊の薬師如来坐像を拝観、この仏像に対する畏敬の念を持ったのでしょう。薬師如来の像高は141・8センチです。薬師寺奈良市西ノ京町)のよく知られている銅製の国宝、薬師三尊像・薬師如来坐像の254・7センチに比べると、決して大きいとは言えませんが、秋桜子は堂々とした雰囲気から「大き佛」と受け止めたのでしょう。

 勝常寺は807(大同2)年、最澄の論敵として知られる法相宗の徳一によって開かれたといわれる東北を代表する古刹で、私も以前この寺を訪れ、「大き佛」を拝観したことがあります。平安時代初期の作とされ、どのような仏師によって彫られたのかは不明ですが、造形技術は他の東北の仏像と比べ際立っているとのことで、一見の価値があるといえます。薬師如来は額が狭く、目鼻立ちはあくまで彫りが深く、いかめしい表情に見えます。この仏像から私は、病をもたらす者に立ち向かう強い意志を感じ取ったものです。言うまでもなく薬師如来衆生(しゅじょう=すべての生き物のこと)の病苦を救い、無明の痼疾(いわゆる持病)を癒す如来と言われています。コロナ禍が続く現代、この仏像を拝観する人は絶えないようです。皆様も機会があれば、ご覧になってください。

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写真

1、遊歩道の街路樹プラタナス

2、モミジもいい色になった

3、勝常寺の国宝、薬師如来坐像小学館『古寺をゆく 勝常寺会津名刹』より)

 

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