小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2069 ありふれた日常の中で ランドセルの少年と履き慣れた靴

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 庭の外に遊歩道があって、1キロに及ぶけやき並木が続いている。春から冬までの季節、けやきは様々な表情を見せてくれる。葉を落とした冬の姿も風情がある。秋たけなわ。例年なら美しい紅葉となるのだが、この秋は様子がややおかしい。葉が色づく前に散り始め、残った葉も茶色っぽくて、お世辞にもきれいだとは言えない。今月初め、房総総半島に接近した台風26号が太平洋からの塩を含んだ風をもたらし、けやきもこんな状態になってしまったようだ。塩害だ。3年前もそうだった。

 このけやき並木の遊歩道は多くの人が利用している。通勤、通学、散歩(犬の散歩も)、ジョギング、買物等々の人々だ。車いすの人もいるし自転車も少なくない。背景が美しいためか、最近はテレビドラマの撮影場所としても利用されている。一番賑やかなのは子どもたちの登下校の時間帯だ。少子化時代といわれているが、近くの小学校は1年生から6年生まで3クラスずつある。今朝、一人で鼻歌を歌いながら登校している男の子がいた。ランドセルで背中が隠れるほど小柄だから、1年生のようだ。天気もよくて気分がいいのか、私には分からない歌を口ずさんでいた。

 散歩途中の私は、男の子を追い抜きながら「おはよう」と声を掛けた。すると鼻歌をやめ、あいさつ代りに首をこくんと下げてくれた。その仕草がなかなか可愛いい。私は「元気でいってらっしゃい」と言って、先を急いだ。途中で振り返ると、男の子は再び鼻歌を歌いながら歩いている。友だちは先に登校したようで、一人で歩いていても表情は明るい。学校が楽しいに違ない。

 これより1時間以上早い時間、ラジオ体操に行く。途中、空を見上げると、雲の間から漏れている陽光が面白い光景を演出していた。数匹の黄金の鯉が泳いでいて、最後尾の鯉からは4本の光が立ち上っているように見える。しばらくすると、上空は光に包まれた雲が幾条にも広がった。この後、近所の高台から雪を抱いた富士山が見えた。近くにいた老婦人がもう一人に「富士山を見ると、心が豊かになったような気がするの。うれしいわ」と話しているのが聞こえた。私が住む千葉市郊外では富士山は空気が乾いた冬しか見ることができない。富士山は私たちにとって冬の到来を告げてくれる季節の山であり、生きる喜びを実感させてくれる山なのだ。

 10月も29日。今年の立冬は11月7日(日)だから、あと1週間余だ。朝の散歩を終わって、これまで履き慣れた運動靴を廃棄した。底が減り、内側のかかと部分もすり減っていた。海外旅行にも何度か履いていった靴との別れはやや寂しい……。秋の日。これがありふれた私の日常の一コマ。

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 1725 けやきの遊歩道無残 紅葉奪った塩害