小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2048 栄光と転落のパラ・五輪選手 獄中の義足のランナー

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 東京パラリンピックが続いている。義足のランナーとして、パラリンピックだけでなくロンドン五輪にも出場した南アフリカの陸上選手、オスカー・ピストリウスは今どうしているのか、気になった。体の障害を乗り越え、世界的な選手になった彼はただものではないと思った。だが、今彼は獄中にあり、栄光から転落した人生を歩んでいる。

  ピストリウスの生い立ちや障害のこと、陸上選手としての活躍、パラリンピック競技から五輪に出場するまでの経緯、刑に服することになった事件などについてはこれまで何度かこのブログで取り上げた。それを簡単にまとめると、以下のようになる。

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《ピストリウスは先天性の障害で両足とも膝から下がない。しかし、たぐいまれな身体能力と厳しい練習の結果、義足を使いながら南アの代表的陸上競技短距離選手に成長し、2008年の北京五輪で400メートルの出場を目指した。だが、国際陸連(IAAF)は、ピストリウスが使用するカーボン繊維製の義足は人工的な推進力を与え、競技規則に抵触するとして健常者のレースでは使用できないとの決定を下し、五輪の門を閉ざした。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が健常者のレースに出場することを認める裁定を下し、参加標準記録を突破すればオリンピックに出場できることになった。しかし、記録突破はならず、北京には行くことができなかった。

  ピストリウスはあきらめずに記録を伸ばし、その後400メートルの五輪標準記録も突破、12年のロンドン五輪パラリンピックの両方の出場資格を取った。ロンドン五輪には義足の選手として史上初めて出場し、個人の400メートルで準決勝まで進み、4×400メートルリレーでは決勝のアンカーを務めた。最下位(8位)に終わったものの、ゴールするピストリウスに送られた拍手は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)の100、200メートル優勝の時よりも大きかったのではないかといわれた。彼の400メートルのベストタイムは45秒07で、日本の歴代タイムと比較すると4番目(ベストは高野進の44秒78)に入る堂々たるものだ。

  そうした栄光に包まれていたピストリウスは、五輪の翌2013年2月14日、自宅浴室にいた恋人に向け銃を発射し、殺害してしまった。「強盗と間違えた」という本人の弁解と計画的殺人という検察の主張は全く異なっていた。さらに禁止薬物の筋肉増強剤や注射器が自宅で見つかったという報道もあり、ピストリウスに不利な材料が出た。裁判の結果、2017年11月14日、殺人罪で禁固13年5月有罪が確定、現在は服役している刑務所で聖書を学びながら、日々を送っているという》

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 これほどの栄光と挫折・転落の人生を送る元五輪選手はそう多くはないだろう。今回のパラリンピックには、米軍の撤退で大混乱に陥ったアフガニスタンから2人の選手(男子陸上と女子テコンドー)が来日した。政権崩壊を理由にアフガンのパラリンピック委員会は選手らの参加を見送ると発表していたが、複数の政府やスポーツ、人権団体、仏英のパラリンピック委員会などが支援に乗り出し、両選手の参加が可能になったという。国際パラリンピック委員会(IPC)は、大会後もサポートするというが、この後、2人にはどんな運命が待ち構えているのだろうか。